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 投稿番号:100031 投稿日:2000年09月03日 08時53分50秒  パスワード
 お名前:服部 明子
平家物語の雑談 その28

コメントの種類 :その他  パスワード

山岡荘八の「徳川家康」を読んでいます。

その中に平家の「富士川の戦い」のように水鳥の音に驚いて、
という話が徳川軍にもあったそうです。

つまり平家だけがそういう経験をしたのではなく
昔はどこにでもあった話だと思いました。

[1]服部 明子さんからのコメント(2000年09月03日 09時13分17秒 ) パスワード
  

山岡荘八「徳川家康」第5巻
解説463ページより


<蛇崩れ>じゃくずれ

家康が武田勝頼とタイジして
遠州大井川の下伊呂滞陣していた時
2〜3日雨が降り続き
川が増水し
夜に入って川岸がにわかに崩れて
水中に陥没する音がはなはだしかった。


俗に<蛇崩れ>という。

これを寝耳にした徳川勢は武田の夜討ちと間違い
先手も旗本も士卒が騒ぎ立ち
いくら制止しても鎮まらなかった。

水鳥の羽音に驚いた平家の軍勢と同じパニック状態を現出したのである。

家康の周囲を固めていた旗本たちは
実際に勝頼が夜襲して来て
先手はすでに敗れたと考え
家康もそれを真に受け
牧野半右衛門を伝令として
全軍に一騎駆けで浜松に引き揚げろ
と下知した。

そのため徳川勢は混乱に陥り収拾のしようがなくなった。



この時、大久保忠世が大提灯を高く掲げさせ
自軍が備えを立て直したと触れて
徳川軍は立ち直す事が出来
やがて騒ぎは収まった。

<これ忠世が早速の奇策。
智ありて且つ勇ある者にあらずば
これをなする事あたはず>


以上「武将感状記」の「大久保忠世士卒の騒乱を鎮むる事」より
[2]服部 明子さんからのコメント(2000年09月04日 12時30分49秒 ) パスワード
  

http://www.wakkun.or.jp/hidaka/tiiki/miyama.htm

和歌山県の紹介HPのようですが、こんなのがありました。
可能性としては理解しますが初めてです。


美山村


平家一族の隠れ里
山間の四季の彩り
水の音

山また山の美しい山の村、
その谷間を縫って渓流が流れ下る。

そこに語り継がれた落人伝説。

何かを語りかけてくる苔むした
石積や五輪塔、平家の再興を待
ちながら山を耕してアワやヒエ
を植えたという八斗蒔、寒川神
社や阿田木神社の荘厳な社。

椿山ダムができて湖畔の村に変った。
やがてここは花の里に・・・・・・。
[3]服部 明子さんからのコメント(2000年09月04日 23時56分21秒 ) パスワード
  

ワタクシの質問:


http://home2.highway.ne.jp/hayata/kamakura/map.htm

頼朝の墓と政子の墓は随分離れているのでございますね?

一緒の墓になんか入りたくない、
って事だったのかしら?

それとも
頼家を殺し実朝を殺し孫を殺しているから
合わす顔が無くて
一緒の所には入れて欲しくなかったのかしら?

疑問に思いました。
[4]服部 明子さんからのコメント(2000年09月04日 23時58分50秒 ) パスワード
  

レスを頂きました:



『頼朝の墓と政子の墓は随分離れているのでございますね?』

本当に知らなかったの?
頼朝、政子、頼家、実朝、大姫と家族全部別々の墓は面白いのでしょうか、
悲しむべきなのでしょうか。
乙姫などは、全く不明です。

鎌倉の地図で、頼朝の「始めに埋葬された」場所の写真は、
白幡神社が写っているけど、違うと思いますよ。



『一緒の墓になんか入りたくない、って事だったのかしら?』

本人に関係無く、一緒に埋葬してくれなかったんだろうね。
偉くなると、単体の墓が多くなるようだけど、本心は一緒の場所で眠りたいだろうに。



『頼家を殺し実朝を殺し孫を殺しているから、合わす顔が無くて一緒の所には入れて
欲しくなかったのかしら? 』

言えてる。
本心は違うだろうけど。
[5]くりがしらさんからのコメント(2000年09月06日 22時52分06秒 ) パスワード
  

このコーナーどこかにログをまとめて保存してあるのでしょうか?
一から通して読んでみたいのですが。
[6]服部 明子さんからのコメント(2000年09月07日 08時53分36秒 ) パスワード
  

「彦熱」の過去の目次に<その1>など入ってるようです。
[7]服部 明子さんからのコメント(2000年09月12日 00時46分19秒 ) パスワード
  

メールで頂きました:



北条時政は、頼朝についたことで
「先が読める、素晴らしい能力の持ち主だ」って褒め称える文章を読んだけど、
そんなに褒めていいのかなあ。

そんなに、素晴らしい親父だったんだろうか。


私はあまり好きな人物じゃないので、褒めたりはしない。

あの時、源氏にかけるとか、頼朝にのったとか、そんなことより
何となくズルズルっと流されちゃった気がするんだ。

一族の将来を考えれば、その選択は素晴らしい、何て言ってるけど、
そんな深い読みをする前にああなっちゃったような気がしないでもない。

そんな深い読みをする男が、
牧の方に振り回されて自分の娘を殺したり(畠山謀殺)、平賀朝雅擁立事件など起こすかね。
[8]服部 明子さんからのコメント(2000年09月12日 00時52分39秒 ) パスワード
  

よその掲示板で「能登殿最期」の章で人物の分析をさせる中学の話が書かれていました。

能登殿・新中納言・義経・平内左衛門についてです。
<教経・知盛さま・義経・家長>です。


私の書き込み:

能登殿は26歳にして酒豪というかアル中で
そうなった原因は何だろう?と
非常に彼のトラウマに興味があります。

あの時お酒が入ってなかったら、もしかすると、
義経に追い付いていたのだろうか?とか。


人物の対比に於いて教経殿は豪快・豪傑に描かれているけど
本当はどんな人だったのか?実は大恋愛の果ての何かあったのかしら?
と想像が駆け巡ります。
[9]服部 明子さんからのコメント(2000年09月12日 01時40分00秒 ) パスワード
  

ヨソの掲示板に書き込んだモノのコピー:

海上には赤旗・赤印投げ捨て、かなぐり捨てたりければ、
竜田川のもみぢ葉を嵐の吹き散らしたるがごとし。

汀に寄する白波も薄ぐれなゐにぞなりにける。

あるじ主もなきむなしき船は、潮に引かれ風に従って、
いづくをさすともなく揺られ行くこそ悲しけれ。


美しいですね。
絵になりますねぇ。
つわものどもが夢の跡・・・
静かさもまたたまりません。

平家の滅びの美学
最高です!
[10]服部 明子さんからのコメント(2000年09月13日 23時57分40秒 ) パスワード
  

中学の先生が授業で平家物語に出て来る人物の分析をしているので
そこにレスとして書いたモノ:



知盛どのが病弱だったと知って
壇の浦での入水の意味が狂ってしまって
私自身の考えが揺らいでしまいました。

重衡どのは明かるく健康な貴公子のイメージです。頭も良いし。
父・清盛に可愛がられたって思います。

維盛どのは線の細い・上品な・いかにも育ちの良い貴公子のイメージですが
妻や子の事は考えなかったのかな?とは思いますが
妻の実家が面倒見てくれるのだから
自分はフダラク信仰で消えていいのだ、と思ったのかしら?
とか思います。

この人の弟の基盛どのというのが母の身分が低かったけど
なかなかの武将だったようです。
でも24歳あたりで病気で亡くなって息子が「行盛」さんですね。
行盛はなかなかの歌詠みで、資盛どの有盛どの兄弟と一緒に入水したと書かれていますね。


平家物語の人物が現代に通じる青年の悩みに重なって
本当はどういう人達だったのだろう?
と夢を描いてしまいます。


心理学で平家物語の登場人物の心を解説してくれるHPがあったらいいな、
と思っています。
[11]服部 明子さんからのコメント(2000年09月15日 01時45分26秒 ) パスワード
  

メールを頂きました:


『伊東とか大庭に対する対抗意識があったと思いますから、喧嘩する機会を狙ってた
かも知れません。』

北条氏はそんな大きな豪族ではありませんよね。
ですから、対抗意識はより強く持っていたと考えていいでしょうね。
よく、「伊豆の豪族、北条氏を味方に云々」と言われますが、そんなデッカイもので
はないでしょう。


『政子と頼朝の結婚で平家のエライ人の息子を振っているのですから』

偉くなんかないですよ。
山木(八牧)判官も、罪人なんでしょ。
伊豆でうまくやれば、それも許されるというような変な立場だった。
それなら、同じ罪人でも頼朝の方がいいに決まってる。
山木判官がいい男だったら、政子はそっちに行っていたと思います。



それやこれやで、そんな深い思慮もなく、頼朝に付いていってしまったんですね。
[12]服部 明子さんからのコメント(2000年09月20日 13時36分03秒 ) パスワード
  

千葉さんより:
北上市稲瀬町のご出身でしたか。稲瀬町上門岡・下門岡には千葉さんが集まっておられるようですね。

河野通信は伊予の豪族・河野通清の嫡男で、頼朝挙兵の直前に密書が送られた人物です。

頼朝の挙兵と時を同じくして、河野通清が伊予国衙の目代(平家方)を追い出しましたが阿波・備後の平家党が伊予に攻め入って、通清は戦死しました。こののち、通信が挙兵して河野氏の所領を回復し、源義経に従って屋島の戦いなどに参加しています。さらに奥州平泉での合戦にも参加しています。

通信は、北条政子の妹を妻としていて、おそらく信頼も厚い人だったのでしょう。
しかし頼朝亡きあと、北条氏の専制政治がはじまると、おそらくそれに反抗心を覚えたのでしょう。承久の乱の前には通信の子・通政や孫の通秀は大番役として上京し、西面の武士となりました。西面の武士は武勇に秀でた関東武士10名が任じられる院直属の武力で、院の警固、上皇の身辺警固、盗賊の追捕などが主な任務でしたが、承久の乱では院・北面とともに院方の主力となりました。

承久の乱の直前、通信は後鳥羽上皇の求めに応じて上洛し、城南寺の仏事に武装して参加、さらに承久の乱では通政らとともに京広瀬で幕府軍と合戦しました。上皇方が敗れたのちも伊予の居城に立てこもって幕府軍に反抗を続けました。しかし、幕府軍は数も多く、ついに居城は攻め落とされて捕らえられ、嫡子・通政は首謀者として斬首、一族も所領を没収されました。その中で、通信は命を助けられて奥州平泉へと配流になりました。
[13]服部 明子さんからのコメント(2000年09月22日 21時44分43秒 ) パスワード
  

下熱の非文化人さんの書き込みより掲載:



平家物語で言ったら、那須の与一の扇の的のお話なんかも、ここで私が言いたかったところの
オリンピック精神に近いかもしれません。

那須与一は、源氏の「つはもの」の威信を代表して、源氏のみんなの思いも背後に感じながら
(つまりナショナリズム丸出しで)矢を射たのです。

これを平氏の「つはもの」たちは、やんやと称えたのです。そこには、日ごろの恨みつらみを
超越した、源平の「つはもの」間の心の交流がありました。

このときは、白旗も赤旗も、純粋に輝かしくはためいていたことでしょう。
[14]服部 明子さんからのコメント(2000年09月30日 03時41分14秒 ) パスワード
  

日本では彼岸花が土手などに咲く時期ですね。
中国から渡来した真っ赤な彼岸花も季節を告げる花ですが
もっと楚々とした萩などいかがでしょう?

日本の秋には萩ですよね。
萩めぐりでしたら鎌倉
是非訪ねてみたいものです。


仙台萩の東慶寺、自生萩の亀ヶ谷、紫萩の淨光明寺、白萩の宝戒寺。
[15]服部 明子さんからのコメント(2000年09月30日 11時30分08秒 ) パスワード
  

上記は友人からのメールです。
[16]服部 明子さんからのコメント(2000年10月01日 00時26分37秒 ) パスワード
  

友人からのメール:その後



彼岸花は、もう時期を過ぎていました。
この別名、曼殊沙華はどうして「お彼岸」に合わせるように咲くのでしょうか。
本当に不思議な花です。
きょう鎌倉亀ヶ谷で、たった1本だけ咲いている彼岸花を見つけました。
亀ヶ谷の崖に、たった1本で見事な色を彩どっていました。
その見事な美しさに、しばらくその場に立ち尽くす破目になったのです。

その時、一昔前の明月院を思い出しました。
紫陽花の盛んな初夏。
一面、紫陽花に覆われた名月院。
周りの豪華さの中、本殿にたった1本の紫陽花が、ポツンと生けてあったのです。
それを見た時、身体が硬直して動きませんでした。
沢山の紫陽花も美しいものです。
しかしたった1本の紫陽花は、それらを圧倒するほどの美しさを奏でることができる
ということを知りました。

その再現を、きょう亀ヶ谷の彼岸花が見せてくれました。

そして、きょう。
不思議な体験をしました。
亀ヶ谷で、私のうしろを歩いている人がいるような気がしたのです。
勿論、誰もいません。
それでなくても、あまり人がこない所です。
そして淨光明寺に行く途中、今度は私の横を歩いている人がいる気がしたのです。
私とともに、赤いたった1本の彼岸花を見に行きたいと思ってくれた人がいたので
しょうか。
それとも私とともに、萩の花を見に行きたいと思ってくれる人がいたのでしょうか。
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