[1] | 服部 明子さんからのコメント(2000年08月06日 23時06分36秒 ) | パスワード |
なんとも凄い山の中ですねぇ。
円墳・祭事場がある・鳥居がある・ホコラがある。。。
ふぅ〜ん。。。
[2] | なかにしさんからのコメント(2000年08月06日 23時16分44秒 ) | パスワード |
それが、写真を見てもおわかりの通り、田んぼがまわりには広がっていまして、農作業をしておられる方とか、道路工事? の作業の方とかおられて、結構にぎやかでした (^^;)。
一番近い集落まで、車で10分程度でしょうか。今年の春の、秘境ルートの林道よりははるかに、人の生活の場に近いです。
それから、二位の尼の墓も熊本にあるらしいですね。宇土花園というところだそうです。現地の案内板に書いてありました。
[3] | 服部 明子さんからのコメント(2000年08月06日 23時26分19秒 ) | パスワード |
>それから、二位の尼の墓も熊本にあるらしいですね。宇土花園というところだそうです。現
地の案内板に書いてありました。
これまた不思議ですねぇ。
[4] | ハンスさんからのコメント(2000年08月06日 23時54分16秒 ) | パスワード |
>壇ノ浦の合戦後、落ち延びてきた安徳天皇は、
>この地で17歳で崩御されたそうです。
壇ノ浦で入水したっていうのは事実じゃなかったのか…。
歴史って本当に不思議ですね。
[5] | 服部 明子さんからのコメント(2000年08月07日 01時33分14秒 ) | パスワード |
円墳が作られた、というのが凄いですよね。
伝説の枠内ならせいぜい塚とかホコラとかは作られるでしょうが
人手もお金も掛かる本格的なモノは
かなり<有力な人>がいないことには出来ませんから。
では誰が一緒にいたか?
という謎も出てきます。
二位の尼は安徳天皇崩御の後にご動座あって熊本に墓があるのか?
という疑問も出て来ますし。
あの凄い山の中に、円墳がある、ということが実に不思議です。。。
[6] | なかにしさんからのコメント(2000年08月07日 07時52分05秒 ) | パスワード |
ハンスさん、おはようございます。
もちろん、壇ノ浦で入水したのがウソだったとは言い切れません。
安徳天皇が逃げ延びた伝説はたくさん、たくさんありますね。日本中の人が死んで欲しくないと思った、あるいは、祟りをおそれて生きていると信じたかった、ということなのでしょうね。
源義経の伝説に関しても、「逆説の日本史5」の中で井沢元彦氏は、当時の日本人は「祟り」を何よりもおそれていて、義経のように、無念の死を遂げると、祟りも非常に恐ろしいものになるそうで、そのために、生存伝説がたくさんうまれるのだと書いておられました。
安徳帝の生存伝説についてもそうかもしれませんね。
服部明子さん、おはようございます。
宇土には、また改めて足を延ばしてみようと思っています。
ここの安徳天皇陵は、ごく最近(去年とか、今年とかというレベル)の天災で、周辺の山の斜面が崩れたか何かで、修復作業と、あわせて、休憩所のような施設の建設が行われておりました。
で、現場の脇に、折れた由来の四角柱がころがっていたのですが、御陵はこの付近の開田の際に見つかったそうで、「石棺と一字一石(ってなに?)が出土したが」だそうです。「出土したが」の下で柱が折れていまして、続きを探したのですが見つかりませんでした。
1年後くらいに行くと、周辺も整備されているかもしれません。
さらに、伝説によると、17歳で崩御された際は確かにここに埋葬されたそうですが、追っ手が迫ったので、宇土花園に再埋葬された、という意味のことが書いてありました。
安徳天皇崩御後、二位の尼はこの地で御陵を守っていたが、追っ手が来たので、安徳天皇の御尊骸と共に宇土に逃げ、後年二位の尼もその地に埋葬されたと言うことでしょうか?? 「なんで、人目に付きやすい宇土に?」という気もしますが。
【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る 】 |
|
◇Copyright(C) 2000 c-radio.net. All Rights Reserved.◇ DB-BBS-system V1.08 by Rapha. WEB design Rapha. |