なかにしさんからのコメント(2000年06月01日 23時44分39秒 ) | パスワード |
締め切りの前の日のお昼では、どなたもアドバイスするヒマがないです。すいません。
服部 明子さんからのコメント(2000年06月05日 11時58分34秒 ) | パスワード |
今年の朝日新聞の日曜日の特集に「熊野参り」の記事がありましたが
ハワイ旅行の準備で新聞記事を探す時間がなかったので
帰宅後にでも新聞の山を崩してみようかと思っています。
[3] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月10日 10時19分11秒 ) | パスワード |
朝日新聞2000年2月13日付け日曜版の「名画日本史」より
タイトルは「熊野那智参詣曼ダ羅」
(私の無料日本語ソフト使用では漢字が無いですねぇ)
副題:泣き泣き歩く那智熊野の道
[4] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月10日 10時26分03秒 ) | パスワード |
歴史上、最も人を魅了した観光スポットのひとつに
熊野那智がある。
そんな遠くへ、
ときには命がけで、みんな何で出かけて行ったのか?
[5] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月10日 10時33分29秒 ) | パスワード |
熊野古道:
熊野3山と呼ばれ
古代から中世、近世まで人々の信仰を集めてきたのが
本宮・速玉、那智の3大社だ。
いずれも和歌山県南部にある。
京から熊野3山へ至る道が「熊野古道」だ。
「梁塵秘抄」は
「熊野へ参るには、紀路と伊勢路のどれ近し、どれ遠し、
広大慈悲の道なれば、
紀路も伊勢路も遠からず」
と記す。
和歌山県は昨年、
熊野古道をメーンに「南紀熊野体験博」を開いた。
それを契機に、古道を歩くグループが生まれるなど
ちょっとした古道ブームになっている。
[6] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月10日 10時44分21秒 ) | パスワード |
熊野参詣の歴史:
907年::宇多法皇が皇族として初めて熊野参詣
992年::花山上皇が熊野参詣
1159年:平清盛が熊野参詣に行く途中に平治の乱が起きたため帰京
1160年:後白河上皇が最初の熊野参詣
1184年:平維盛が那智の滝から補陀落渡海(平重盛の長男)
1201年:藤原定家が後鳥羽上皇と熊野参詣
1208年:北条政子が熊野参詣
1274年:一遍上人が本宮で神託を得て時宗を開く
1281年:亀山上皇が蒙古降伏祈願に熊野参詣・皇族最後の参詣
・
・
・
・
1992年:皇太子が皇族として711年ぶりに本宮を訪れる
[7] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月10日 10時51分52秒 ) | パスワード |
「熊野那智参詣マンダラ」
室町時代?の作
紙本着色
160X150p
熊野那智大社・大塚工芸社蔵
那智参詣の様子を描いている。
同様のマンダラが全国に10数点残る。
「熊野那智参詣マンダラ」は現代ならば
「秘境・熊野・癒しの地」
こんな宣伝文句の大書される、言ってみれば観光ポスターだった。
[8] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月10日 11時11分57秒 ) | パスワード |
参考書案内:
日本の原郷熊野
梅原猛
新潮社
1500円
熊野の人と風土・上皇たちの参詣の歴史、
庶民の熊野信仰、著者の熊野体験をつづる。
熊野三山信仰事典
加藤隆久編
戎光祥出版
15000円
三大社の宮司をはじめ、専門の研究者たちが
熊野信仰の歴史から熊野修験道、
伝統行事までを詳しく執筆。
熊野古道を歩く
JTB
1600円
地図と写真が主体のガイドブック。
巻頭で作家・評論家の栗田勇氏が
「人はなぜ熊野をめざすのか」を書いている。
縛られた巨人:南方熊楠の生涯
神坂次郎
新潮文庫
667円
著者の熊楠への愛情がにじむ書。
熊野の自然の中で
粘菌研究に没頭した熊楠が残した
論文・随筆・書簡・日記を駆使して
その実像に迫る。
紀州 木の国・根の国物語
中上健次
朝日文芸文庫
672円
和歌山県生まれの著者が紀州をめぐる「遊行」の記。
1977年から朝日ジャーナルに連載された。
[9] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月10日 11時13分49秒 ) | パスワード |
1ヵ月くらいの予定で書いていこうと思ってます。
[10] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月11日 06時51分55秒 ) | パスワード |
「泣き泣き歩く那智熊野の道」
熊野までの道は京都からでさえ遠い。
藤原定家の「後鳥羽院熊野御幸記」によれば
一行の総行程は往復で600キロ以上で
20日間を超えた。
定家は
「かぜで苦しいのに海の水を浴びた」「宿は狭くて漁師の小屋のようだった」
と道中嘆いてばかりいる。
人々は日本全国遥か遠くからやって来た。
実際旅の途中で食料が尽き
疲れて倒れ
死んで行った人たちの墓石がいまもあちこちに残っている。
現代でさえ東京から新幹線で大阪に行き
電車を乗り継いで和歌山市に向かい
レンタカーで本宮を目指しても
途中で宿泊しながら3日がかり。
直行したとしても8時間はかかるだろう。
そして10日間、熊野三山を歩く。
霧にけぶる社。
深い緑に苔むした石段。
森を縫って走る小径。
すべての自然に神が宿っているような思いにだんだんとらわれていく。
文句ばかり言ってた定家は本宮に到達する直前のことを
「感涙禁じ得ず」
と記るしている。
そう、人々は「泣くため」に熊野に行ったのだ。
[11] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月17日 03時37分37秒 ) | パスワード |
熊野参詣回数:
後白河法皇・・・・・・男性・・・・・・・33回
後鳥羽上皇・・・・・・男性・・・・・・・29回
鳥羽上皇・・・・・・・男性・・・・・・・23回
待賢門院・・・・・・・女性・・・・・・・・9回
修明門院・・・・・・・女性・・・・・・・・6回
七條院・・・・・・・・女性・・・・・・・・4回
美福門院・・・・・・・女性・・・・・・・・4回
八條院・・・・・・・・女性・・・・・・・・3回
建春門院・・・・・・・女性・・・・・・・・3回
後嵯峨上皇・・・・・・男性・・・・・・・・2回
道法法親王・・・・・・女性・・・・・・・・2回
[12] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月17日 03時43分05秒 ) | パスワード |
何故後白河法皇は33回も訪れたのか?
法皇は回数を重ねれば功徳も深まると信じていたようだ。
28回目を終えた時、「まだ信仰が足りない」と語ったという。
源平が抗争する動乱期を、権謀術数の限りを尽くして
「日本一の大天狗」と言われた法皇の一断面だ。
[13] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月17日 03時47分46秒 ) | パスワード |
上級階級の熊野詣でが盛んになった背景に
11世紀に広がった末法思想がある。
「南無阿彌陀仏」を念じれば極楽浄土に行けるという信仰が広がり
本州の南端にある熊野が「浄土の地」と位置づけられた。
特に阿弥陀如来を本地仏とする熊野本宮大社は1度は拝みたい聖地とされた。
[14] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月17日 03時52分58秒 ) | パスワード |
熊野参詣には大きく4つのルートがあった。
代表的なのが京都から大阪、紀伊田辺を通って山中に入り本宮に向かう中辺地
(へち)ルート。
皇族の参詣はこのルートが多かった。
他に田辺から新宮に向かって海沿いを進む大辺地ルート。
高野山から熊野三山へ南下する小辺地ルート。
伊勢から熊野への伊勢ルート。
[15] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月17日 03時55分19秒 ) | パスワード |
熊野参詣の沿道には約2キロ毎に王子と呼ばれる
遥拝所が設けられた。
「九十九王子」と総称され、いまも残っている。
[16] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月17日 03時59分32秒 ) | パスワード |
熊野信仰の全国への広がりを示すのが
今も各地にある熊野神社だ。
那智大社の朝日芳英宮司の調べでは
3300を超える。
もっとも多い関東で765社。
次いで東北・北陸が544社。
九州が472社などという。
[17] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月17日 04時07分23秒 ) | パスワード |
国宝「那智瀧図」
根津美術館蔵。
東京都港区南青山6の5の1
03ー3400ー2536
地下鉄表参道から徒歩10分
月曜休館(祝日の場合は翌日)
国宝「那智瀧図」は13世紀末
鎌倉時代後期の作品とみられる。
瀧や樹木、岩壁などの自然景観が大和絵の手法で描かれている。
写実性が高い風景画でもあり
一方で自然崇拝の信仰から生まれた宗教画ともいえる。
2001年秋に開かれる「開館60周年記念展」で公開予定。
[18] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月17日 04時12分49秒 ) | パスワード |
熊野那智大社
和歌山県那智勝浦町那智山
0735ー55ー0321
JR紀伊勝浦からバスで25分
那智の瀧、青岸渡寺も近い。
熊野那智参詣マンダラの原寸大の複製が
大社内の宝物殿(拝観料中学生以上200円小学生100円)に
常時展示されている。
実物は収蔵庫に保管されており
各種展覧会に貸し出されることがある。
[19] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月17日 04時18分03秒 ) | パスワード |
もうあと少し写しますね。
[20] | なかにしさんからのコメント(2000年07月19日 23時49分01秒 ) | パスワード |
はい、よろしくお願いします。
[21] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月24日 08時00分32秒 ) | パスワード |
人はなぜ熊野で泣くのか?
のお話の続き:
大音響とともに断崖をすべり落ちる瀧は
自然の荒々しい自己表現だ。
その足下にこんこんとわく温泉は
自然の優しさの表れ。
瀧に打たれ湯につかる。
人間と自然の葛藤、
ここに極まるか?
<マルローが泣き
花山上皇も泣く>
では下段にマルローのお話を書きましょう。
[22] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月24日 08時10分22秒 ) | パスワード |
フランスの作家で元文化相のアンドレ・マルローが
那智の滝の前に立ったのは1974年5月のことだ。
「まったに私は自然に感動させられたことはなかったが。。。」とつぶやき
「アマテラスだ」と口走ったという。
那智の滝は岩頭から直下すること133メートル。
土地の人はたぶん有史以前から滝そのものを「ご神体」とあがめてきた。
マルローも同じように感じたのだ。
日本の美術に強い関心を持つことで知られるマルローは
この直前
東京の根津美術館で国宝「那智瀧図」を見ている。
絵を見て実物を見たくなったのかもしれない。
その15年後、今度は娘さんのフロランスさんが瀧の前に立つ。
ばく布に吹い寄せられるように歩みを進める彼女は
那智を訪れて2年後に亡くなった父の面影を瀧の中に見た。
[23] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月24日 08時19分54秒 ) | パスワード |
滝のさらに奥には2の滝・3の滝がある。
傾斜が急で木の枝につかまりながら山に入る。
途中から道がなくなった。
川の岩づたいに進む。
汗が背を伝った。
こうして数時間。
2の滝・続いて・3に滝にたどり着いた。
那智の滝ほどの高さも迫力もないけれど
優美な姿で
水の落下は自然がこぼす涙のように見える。
2の滝の近く、
うっそうとした樹林の中に、
花山天皇の御こもり所跡があった。
妻を亡くし
信頼していた周囲の者も死んでいく中、
藤原一門の策謀で皇位を追われて
出家した悲劇の人だ。
那智山で傷心を癒しながら続けた修行は一説によれば
一千日に及んだ。
マルロー父娘も花山上皇も
那智の滝を見て
心の中で泣いたに違いない。
[24] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月25日 05時27分59秒 ) | パスワード |
本宮大社の九鬼宗隆宮司は
「人は熊野に来て泣くですよ。
ことに女性は。
泣かない女性はいないな。
欲望が我を離れて再生の喜びを感じるのですよ」
と言う。
泣くことの効用を精神科医で作家のなだいなださんに聞いた。
「泣けば悲しみから解き放たれる。
フロイトも「泣きたい時は泣きなさい」と言ってる。
大自然の前で泣くというのは比ゆ的な表現でしょうが
非日常の世界で身体全体で何かを感じ
ストレスが解消されることはあるでしょうね」
[25] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月25日 05時37分24秒 ) | パスワード |
熊野には人の魂を根底から揺るがす何かがある、
と多くの人が感じてきたのは確かだ。
熊野で修験道が盛んになったのも
この地が持つ霊力があったからだろう。
那智の滝のそばにある青岸渡寺の高木亮英副住職が言う。
「修験道の山伏たちが山に入った時に唱える言葉がある。
「六根清浄、さんげ、さんげ」
六根とは目、耳、鼻、口、舌、心の6つの感覚。
さんげとはざんげ。
熊野の自然で六根を清めて悔い改める。
そんな意味の言葉なんです。」
[26] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月26日 03時26分23秒 ) | パスワード |
熊野という地名は「死者がいる国」との意味を持つ「隠国」ーーこもりくーー
からきたのだという。
あるいは「地の果て」を意味する「隈野」ーーくまのーーが由来だともされている。
古代から「死」の色合が濃い場所だった。
そこに補陀落信仰ーーふだらくーーが加わった。
海の彼方にある常世ーーとこよーーの国に行けば不老不死の理想郷があるという信仰だ。
[27] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月26日 03時34分04秒 ) | パスワード |
常世の国をめざして旅立つことを「補陀落渡海」といい
死を覚悟した行だった。
その様子は「熊野那智参詣マンダラ」に描かれている。
「熊野那智参詣マンダラ」の図の下部、
船の四方に鳥居をめぐらせているのが渡海船だ。
渡海上人が乗り込むと、釘を打って外に出られないようにした。
30日分の食料と油だけが積み込まれた。
絵に描かれた渡海の出発地である補陀落山寺は那智の真っ青な海から近い場所に今もある。
ひっそりした境内に碑が立っている。
868年から1722年の間に補陀落渡海をしたとされる25人の名が刻まれている。
[28] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月26日 03時43分25秒 ) | パスワード |
平清盛の嫡孫である維盛、
源頼朝の前で鹿を討ち損じたのを恥じて行者となった武士、
補陀落山寺の歴代の上人、
同行者を含めると100人以上が海に消えたという。
平維盛はこんな歌を書き残したとされる:
「生まれては 逐(つい)に死すてふ 事のみぞ
定めなき世に 定めありけり」
[29] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月26日 03時54分22秒 ) | パスワード |
熊野とは「死の影がさす国」であり「再生の物語もある国」との二元性を有する土地である。
一方で熊野には「肉体の蘇生を叶えてくれる」という言い伝えもある。
例えば「小栗判官伝説」:
公卿の息子小栗は恋こがれていた照手姫契りを結ぶ。
照手姫の父は激怒して小栗を毒殺する。
小栗は厭魔大王から判決を受け目も見えず口もきけない身体にされて地上に戻る。
土車に乗り、諸国を巡る僧に引かれて、444日目に本宮の「湯の峰」にたどりつき
49日間の湯治でかつての姿に戻る。
険しい道を歩く苦行を重ね
熊野3山に詣でる事で
傷ついた肉体も精神も蘇ることをこの話は示している。
[30] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月26日 04時01分19秒 ) | パスワード |
歌人の斎藤茂吉も1925年家業の病院を火事で失った傷心から熊野を訪れた。
ここで目を患った青年と出会う。
青年が言うには目を患って思い悩み四国遍路をしたら治った。
ところが浮き世暮らしをしたら再び悪化した。
本当は嫌だが再び遍路となって熊野に来たという。
茂吉はこの青年を「近代主義的遍路」だとおもしろがり
「慰安を得た」と記るしている。
流儀は違うが茂吉もまた少しは精神を蘇らせたのだ。
現在の湯の峰温泉。
「小栗判官蘇生の地」と書かれたのぼりが風にはためく。
病に悩む人が現在も熊野にやって来る。
[31] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月26日 04時11分22秒 ) | パスワード |
「癒しの地・熊野」
「死」と「再生」というスケールの大きな道具立てが熊野という舞台にはある。
それにふさわしい自然があり、歴史がそこに幾重にも積み重なっている。
死から再生にいたる通過儀礼として「泣く」という行為があるのではないか。
熊野への長い長い道のりが「醸成」の役割を果たし泣くことの効果を劇的に高めた。
中世以降こうした要素を観光事業の中に取り入れてきたのが
日本の他の地域には見られない熊野の特性だ。
この千年。
本当の自分を取り戻したい、
人生をやり直したいという願望を胸に
人々が数珠繋ぎにやって来て
すっかり新しい自分になって帰っていった。
熊野とはまさに「癒しの地・熊野」である。
[32] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月26日 04時21分25秒 ) | パスワード |
奥熊野温泉郷ご案内:
いずれも本宮大社から車で10分ほどの距離にあり
3温泉郷には年間16万人が訪れる。
「つぼ湯」本宮町湯の峰:JR新宮からバスで1時間15分
小栗判官が病を治したと伝わる温泉で
名の通り、つぼ状の岩風呂。
入場料260円。
つぼ湯がある温泉郷は本宮大社に詣でる人達の湯垢離(ゆこり)場だった所で
湯治場の雰囲気が色濃い。
周辺には小栗判官と照手姫にまつわる伝説・史跡が残っている。
湯の峰温泉のつぼ湯につかってみる。
乳白色の湯。
意外にも湯船は足が伸ばせないほど狭い。
しかし外には「3600峰」といわれる大自然が広がっている。
[33] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月26日 04時25分28秒 ) | パスワード |
「川湯温泉」:本宮町皆瀬川:JR新宮からバスで1時間
11月上旬から2月末までの川をせき止めて作られた大露天風呂の「仙人風呂」のうたい文句は1000人が入れる、というものだ。
無料で入浴出来、シーズン中は約6万5千人が利用。
[34] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月26日 04時28分38秒 ) | パスワード |
「渡瀬温泉」:本宮町渡瀬:JR新宮からバスで1時間
クアハウスやバンガローなどもある温泉リゾート地。
湯の峰・川湯と並ぶ奥熊野温泉郷の1つ。
[35] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月26日 04時33分08秒 ) | パスワード |
番外:勝浦温泉:那智勝浦町:JR紀伊勝浦下車
南紀を代表する温泉郷。
紀州の殿さまが
居心地の良さに帰るのを忘れたという由来がある大洞窟風呂「忘帰洞」ーーぼうきどうーーが有名。
那智滝・那智大社・青岸渡寺・補陀落山寺などの観光名所があり
年間200万人が訪れる。
[36] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月26日 04時39分42秒 ) | パスワード |
おまけ:
<南方熊楠>という人:
和歌山県に生まれ、熊野にどっぷり漬かって生きた異能の人に南方熊楠がいる。
那智の滝の原生林を歩き周り、粘菌類や植物の研究に没頭した時期もある。
熊楠は「わが頭抜け出て那智山中を飛ぶ」と書く。
和歌山市に住む作家の神坂次郎は
「熊楠は那智で超感覚的な、
まるで透視、千里眼とでもいった予知的な幻視、幻覚に再三襲われている」と説明する。
[37] | 服部 明子さんからのコメント(2000年07月26日 04時47分49秒 ) | パスワード |
ひぃ〜、やっと写し終わりました。
<その2>で皆さんの「熊野詣での意味」についてお書き下さい。
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