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 投稿番号:100008 投稿日:2000年05月24日 21時15分15秒  パスワード
 お名前:なかにし@お世話係
源義経の戦術眼

コメントの種類 :人物  パスワード

代理質問です。何かアドバイスがありましたらよろしくお願いいたします。
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 「源義経」に関して卒業論文を作成する予定ですが、資料や本が伝説に関するものばかりで行き詰まっています。もしよろしければ、源義経に関する有効な資料、又、源義経に関して研究を行っている方をご存知であればぜひ教えていただきたく思い、メールという形ではありますがご連絡させていただきました。

 私が作成しようとしている論文は「源義経の戦術眼」と題しまして、源平の合戦において一度も敗北を喫していない源義経の戦い方を検証してみようというものです。どうして源義経は勝ち続けることが出来たのか、何か特別な戦い方をしたために勝ち続けることが出来ていたとしたらそれはどのようなものであるか、という2点を特に着目していきたいと思っています。又、資料から推測できる義経の人間像・性格を考察し、それが戦術に反映したのではないかとも考えています。

服部 明子さんからのコメント(2000年05月26日 00時16分57秒 ) パスワード
  

義経なら「平家物語の雑談」の初めの方にもたくさん書き込みがありますね。

義経はメージャーな登場人物なので捜すのに困難は無いと思いますから
図書館なり本屋さんで手に入りますよね。

検索しても「源 義経」で一杯出て来ると思いますが。
なかにしさんからのコメント(2000年05月26日 00時35分26秒 ) パスワード
  

 質問された方には、「全文検索をとりあえずやってみては?」とメールをしておきました。

 私の義経に対する見方というのは、部下を統率できず、上からの指示に従っている振りをしながら自分の戦術で戦うという知恵もなく、育ちも悪く、他人に迷惑かけても知らん顔の愚将、って感じでかなり偏ってますからねぇ。それでも、世間の伝説よりはより真実に近いとは思うのですが・・・。それでも、そんな論文書いて、卒業できなくなると困りますから(これこれ ^^;)。
服部 明子さんからのコメント(2000年05月26日 22時25分24秒 ) パスワード
  

義経は語り尽くされているので論文で取り上げるほどの余地は残っていないと思います。

なかにしさんのように反判官びいきの側面から論じれば面白いですね。
「義経の仮面を剥ぐ」のような副題で。

それより「何故日本人は義経に好意的なのか?」と日本人の心理を研究しても
面白いですね。

小淵さんのことでもさんざん無能な宰相と呼んでたのに
亡くなると手の平を返す論調になる。

小淵さんの政治が見えなくなってしまいます。
義経のマイナス面も見えなくなっています。

結局は一握りの部下を連れての逃避行に終わったのだから
義経の器というのが見えてると思います。
みるくや本舗さんからのコメント(2000年05月28日 20時05分57秒 ) パスワード
  

卒業論文の最後に

「参考文献」

  平熱

と書き込まれる日も近いな・・・(^^;
なかにしさんからのコメント(2000年05月28日 20時11分03秒 ) パスワード
  

↑理想ですねぇ

 その時はURLも書き添えてくださいませ>研究者の皆様
[6]服部 明子さんからのコメント(2000年12月09日 01時36分13秒 ) パスワード
  

司馬遼太郎「歴史と小説」よりのメモと思います。


源義経は
日本史上最初の軍事の天才。
同時に日本史上最初の人気者。

三草越えして一の谷に入った。

坂東武者を近代戦術における騎兵として使ったのも義経。
[7]服部 明子さんからのコメント(2001年05月14日 22時39分40秒 ) パスワード
  

メールを頂きました:


壇ノ浦での源氏勝利の原因?

潮流を利用したのも確か、「舵取りや水夫を狙う」作戦も確か。


しかし、それだけではなく、「何をするか分からない義経」という先入観が平家にあり、
戦闘意欲が源氏より劣ったこと。
それと、平家には唐突した指揮官がいなかったこと。
こういうことが、根底にあったからです。

[8]服部 明子さんからのコメント(2001年05月14日 22時57分51秒 ) パスワード
  

別の方からもメールを頂きました:


平家物語は日本最高の古典とされています。

でも、これが関東武士を賛美し、西国武士をおとしめる結果を生みだしたのも事実。
特に、平家の惣領はなっさけねー連中だったというイメージを増幅したのは明白。

でも、「実際そうだったのかな?」と疑うことから、歴史の「科学化」が始まる。
僕も、歴史の本をまじめに読むまでは、
ある政権が滅びるのはボスがバカだからなのかな〜、
などと漠然と思ってた。
今となっては「若かったな〜・・・」と思うようなことです。



一応、歴史学者の言う定説では、
1.関東武士の本隊(蒲殿の軍)はすでに九州地方を制圧しつつあった
2.ちょうど、そのころは気候の変動期で、特に西国は飢饉が数年にわたって続いた。


関東地方の経済力が急激に上昇したことは前にも触れましたね。
でも「1」はあんまり知られてないでしょ? 

実は源範頼が関東軍の主力で、義経は別働隊の隊長ぐらいのもんでした。
実際には梶原景時のほうが偉かったかも。
で、範頼の配下の関東武士が中国/九州地方の土豪を懐柔し、
伊予の河野水軍を味方につけることによって
平氏は孤立して亡んだわけ。

これが「物語」の問題点で、ドラマチックに書くから、こういう「散文的な事実」が隠れてしまう(作者の意図はどうあれ)。

ま、太平記の北条高時はボロクソに書かれてるんだから、平家の公達はまだ幸せかも知れんが。



僕はもう一つ、見落とされた史実があると思う。
それは、「西日本には旧権力の所領が多かったこと」です。

もともと西日本は朝廷権力が強かった地域。
当然、比叡山や高野山の権力も浸透していた。
平氏は西国に基盤を置いた政権だったから、
「東」に基盤を置いた鎌倉よりも、最初から経済力の面で不利だったんじゃないかな? 
こういう視点て、一回も聞いたことないけど、実際そうだったんじゃないかなあ?


西日本と東日本て、昔は外国のように違ったわけですもん。
だって、東北って、頼朝の征服以前は事実上「外国」だったじゃないですか。
この東北を、頼朝が征服したことは後世に大きく影響してくる。

僕は承久合戦で関東が勝利できた最大の要因は、
東北を「植民地」支配できた経済力によるものだと思っています。
関東だけだったら、西国に勝てたかなあ? 
海外貿易も西のほうが有利だしねえ。
[9]ラン2さんからのコメント(2001年05月15日 09時00分32秒 ) パスワード
  

おはようございます。

角川書店の『平安時代史事典』で源義経の項をひくことをおすすめします。
そこに参考文献としてあげれている史料と研究にあるものをすべてあたられる
のが賢明かと思います(^・^)

『平安時代史事典』は高価で、しかも大きく、一般の書店では置いてません。
大きな図書館や、大学の図書館でご覧になれるはずです。
この事典が便利なのは、本文はもちろん参考文献にあります。

URLはすぐにでないですが、「義経伝説」というサイトの掲示板に、義経を
やっている研究者の方が、たまに書き込んでいらっしゃいましたよ。
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