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読売新聞2000年5月4日下関版からです。
下関海峡まつり
好天の下、どっと21万人
華やかな先帝祭と勇壮な源平船合戦で知られる下関市の「しものせき海峡まつり」が3日開かれた。
先帝祭は、源氏と平氏が雌雄を決した約800年前の壇ノ浦の合戦で、破れた平家と共に入水した8歳の安徳天皇の霊を慰める祭り。上臈参拝は生き残った女官らが、幼帝の命日に正装して赤間神宮参拝を続けたという言い伝えに習っている。
↑天橋の時代絵巻に見入る見物客
豪華絢爛な花魁(おいらん)姿の5人の太夫は、旧市街地(なかにし注:下関駅周辺〜赤間神宮周辺)を練り歩いて見物客で埋まった赤間神宮へ。境内に作られた朱塗りの天橋で、太夫が足を大きく八の字に踏み出しながら打ち掛けの袖を振る「外八文字」を披露すると、境内は大きな拍手で包まれた。
↑外八文字を披露する上臈(赤間神宮)
関門海峡沿いの祭り会場では、上臈道中からいったん別れた二人の太夫が登場。ステージで外八文字を披露し、、早朝から詰めかけた見物客から盛んな拍手を受けた。
源平弓合戦も行われ、源氏、平氏の武者に扮した下関弓道連盟の16人が、会場の的をめがけ腕を競い合った。8人ずつの源平両軍が、岸壁から約25メートル離れた漁船に置かれた直径約50センチの日の丸が描かれた扇の的に弓を放ち、命中するたびに、会場からは大きな歓声が起きた。結果は史実と異なり、8対6で平氏側が勝利を収めた。
↑(なかにし注:関門海峡を行く船団、後方は関門橋と海峡ゆめタワー)
関門海峡に、鬨の声が響く。
下関市で3日開かれた「しものせき海峡まつり」の華、紅白ののぼりをなびかせながら、約150隻の船が海峡を行き交う「源平船合戦」の幕開けだ。
1185年3月24日卯の刻(午前6時頃)。源氏3000艘、平家1000艘あまりの戦船が壇ノ浦で激突。破れた平家と共に、8歳の安徳天皇は入水した。
源平船合戦は、壇ノ浦の合戦を再現すると同時に、安徳幼帝の霊を弔う祭り。武将や女官に扮した市民が、戦船に見立てた漁船に乗り込んだ。片道約3キロの早鞆瀬戸(はやとものせと)を、赤い幟(のぼり)の平家方が行き、白い幟の源氏方が追った。
途中、壇ノ浦では、花輪を海に投げ込み、幼帝の霊を慰めた。華やかさの中に、ものの哀れが漂う海峡の歴史絵巻だ。
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