コメントの種類 :史蹟
パスワード
安徳天皇西市御陵墓で先帝祭
豊田町地吉の安徳天皇西市御陵墓で4月25日、先帝祭が開かれた。同御陵は8歳でなくなった安徳幼帝の関係地として宮内庁から参考地指定を受けており、地元民約50人が参加して神事などが行われ、霊を慰めた。
安徳天皇は1185年、壇ノ浦の合戦に敗れた平家一門と共に入水した。宮内庁は下関市の赤間神宮境内の阿弥陀寺御陵を正式な御陵としているが、豊田町の他、長崎県厳原町など五カ所の陵墓を幼帝の伝説が残るとして参考地に指定している。
西市御陵墓は1927年、参考地指定を受け、地元の神崎政徳さん(63)が祖父の代から守っている。先帝祭は命日(旧暦3月24日)にちなんで開かれ、木屋川ダムが完成した55年に陵墓周辺の170戸が水没するまでは多くの出店が並び、子供相撲や芝居なども行われていたという。
この日は、近くの西八幡宮の西嶋晴彦宮司が祝詞をあげ、参加者が次々に玉串を奉納した。下関市の亀山八幡宮の巫女二人が「浦安の舞」を披露、筑前琵琶奏者の佐々木旭酔さんが平家物語の一節「新中納言知盛」を奏でた。
神崎さんは「上臈参拝などがあり、多くの観光客で賑わう下関の先帝祭の華やかさも結構なものですが、厳かに霊を慰めるのも重みがあっていいものでしょう」と話していた。
(読売新聞 2000.4.25版より)
|