服部 明子さんからのコメント(2000年05月11日 22時14分16秒 ) | パスワード |
平 知盛さまと大谷吉継の共通点を最近非常に意識しています。
知盛さまが平家入水を画策したのが自ら病弱だったから?
大谷吉継はライ病だったから石田三成の味方をしたのか?
と。
教盛どのが総大将だったら平家入水はあったのだろうか?
とも考えます。
石田三成は捕らえられても抵抗を示したし
宗盛どのも自分が死ななければならないとは考えていなかった。
この共通点は?などと空想が広がっていきます。
服部 明子さんからのコメント(2000年05月14日 10時48分42秒 ) | パスワード |
服部家住宅(重要文化財)
「浪合記」には<宗清子孫>と書かれて<公家庶流>と扱われているようですが
宗清<後継者>とされるなら納得出来るのですが。
服部 明子さんからのコメント(2000年05月14日 21時54分50秒 ) | パスワード |
服部家ホンヤのことをご存じでいらっしゃる方が「彦島」にいらっしゃったので
修理後の「表門」も見て頂きます。
数年前には「遊歩道」も整備した、と連絡を頂きました。
なかにしさんからのコメント(2000年05月14日 23時50分24秒 ) | パスワード |
案内板あるし、写真にキャプションが入ってますけど、パンフレットか何かの写真ですか?
あぁ〜、これは一度見学に行かないと・・・
#ちなみに、今は、いつ会社を休んで祖谷に行くかを画策中・・・。でも、悲しいことにボーナスが出ないと身動きとれん(苦笑)
服部 明子さんからのコメント(2000年05月17日 10時18分53秒 ) | パスワード |
確か案内板には「個人の住宅なので訪問希望者は教育委員会を通すこと」などと書かれていたような。。。
これは「絵葉書き」にしたものです。
服部 明子さんからのコメント(2000年05月17日 10時27分46秒 ) | パスワード |
愛知県弥富町観光課に頼めばパンフレットを送ってくれると思います。
この「服部家住宅」のあたりは「荷之上」と言いまして
源義朝が大垣経由で知多の野間に家来の鎌田の妻の実家である長田家に落ち延びた時
船に積んだ柴の下に身を隠して川を下だり
もうここまで来たなら安全だろう
ということで柴を土手に挙げて
そこが「荷之上」と名が付けられた、と記憶しています。
結構歴史的に。。。地元では。。。知られています。
信長最愛の弟を殺したのもこの近くですし。
服部 明子さんからのコメント(2000年05月17日 10時35分06秒 ) | パスワード |
上記「長田」父子ーーーおさだーーーは平家の一族です。
でも当時は源氏方で、主筋にあたる源義朝を風呂で殺して
恩賞を要求して。。。。
主殺しとして悪名を歴史に残しています。
息子は源頼朝に仕えて結局は怒りの収まらない頼朝に極刑で殺されています。
土ハリツケとか一寸刻みの刑とか呼ばれている処刑の仕方です。
でもこれは当時は一般的だったようで
私の母方の先祖も父親を殺されて同じやり方で仇を取っています。
服部 明子さんからのコメント(2000年05月17日 10時41分32秒 ) | パスワード |
どうせ行くなら夏の7月の津島神社のお祭りに合わせて行くのが良いと思います。
津島神社のお祭りの宵祭りと朝の祭りだかのどちらかを
服部家ホンヤさんが宰領するのです。
暑い盛りに上下姿で宰領するのですから大変です。
これは南北朝の動乱時代に北の武将を捕らえたのか殺したのかを記念に
お祭りになってるそうです。
川祭りでは珍しいものだそうです。
まきわら船が出たりしてなかなか壮観だそうです。
服部 明子さんからのコメント(2000年05月17日 10時50分59秒 ) | パスワード |
URL捜して来ました。
無形民俗文化財
場所:津島市神明町
尾張津島天王祭の車楽舟行事
所在市町村:津島市
所有者:津島神社奉賛会
毎年7月第4土曜日から日曜日にかけて行われる宵祭と朝祭を中心とした祭礼である。
宵祭は、5車(旧5カ村時代の米の座、堤下、筏場、今市場、下構)から出る巻藁船5艘に提灯が灯されて行われる。
朝祭には、5車と佐屋町の市江車1車を加え、
計6車の上で笛・太鼓の祭囃子とともに古式豊かな
神事が行われる。御霊神牛頭天王を祀るところから 「天王祭」とも言う。
http://www.pref.aichi.jp/kyoiku/museum/exhibit/culture/05.html
服部 明子さんからのコメント(2000年05月17日 11時01分41秒 ) | パスワード |
敵は一宮の妙興寺を中心とする北朝方の武士団です。
信長や秀吉もこの祭りを楽しんだそうです。
上記にある市江という名が弥富の昔の地名になります。
後醍醐天皇の息子の宗良親王、さらには宗良親王の子いずよし親王と孫のよしたかの君を守って各地を転戦してここに落ち着いて定着したのだそうです。
上記の住宅は430+α年前に信長に負けて許されて建てた家です。
服部 明子さんからのコメント(2000年05月17日 11時14分58秒 ) | パスワード |
いずよし親王=伊藤の伊からにんべんをとった字です。よしは良しの良。
よしたかの君=良+王+君と書きます。
今、服部家住宅で検索したところ2〜3出てました。
中部地方の重文修理報告書にも出てます。
服部 明子さんからのコメント(2000年05月21日 11時57分38秒 ) | パスワード |
良王君はホンヤさん宅で亡くなったと聞いています。
写真の家より100年くらい前の家になると思います。
ひみつのあっこちゃんさんからのコメント(2000年05月21日 23時27分08秒 ) | パスワード |
>服部家ホンヤのことをご存じでいらっしゃる方が「彦島」にいらっしゃったので
>修理後の「表門」も見て頂きます。
あっ!あたしですね。(^○^)
数多く引っ越した中でこの地は大切な時期を過ごした土地です。
親の手から出て自分の意思で友人と遊びお小遣いを使い etc...
子供会活動も盛んでお祭りの時は「おおはっとりさん」の近くで
何かあってたような記憶が… (…あいまい…(;^_^A)
この家まで自転車で10分前後の所にすんでたんですよ。
しかし子供ながらに大きな家だと思ってましたが
事実…大きな家だったんですね〜〜。
では
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