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 投稿番号:100001 投稿日:2000年04月01日 13時52分02秒  パスワード
 お名前:服部 明子
平家物語の雑談 その22
キーワード:頼朝像 平家物語 朝日新聞記事
コメントの種類 :その他  パスワード

「平家物語の雑談 その21」の最後に書きましたが頼朝の噂です。

平家物語には頼朝は「顔大きに勢短きかりけり」「容貌優美」と続くが
「頭でっかちで背が低かった」らしいです。

弟の義経もチビだとか(出歯だったとか)書かれていますが
背が低かったのは家系的のようですね。


で、「頭でっかちでチビ」って。。。。ワタクシも。。。(^^;

お世話係なかにしさんからのコメント(2000年04月01日 14時42分11秒 ) パスワード
  

 過去に「彦島」に書き込んでいただいた「平家物語」関連のメッセージは、近日中に、こちらの方に複写しますので、今しばらくお待ちくださいませ。

 平家物語関連のBBSとしては後発ではありますが、全文検索機能(本文の中身の文字を検索可能)と話題ごとにスレッドの作れるシステムは便利だと思いますので、こちらの方もよろしくお願いいたします>ALL

 全文検索機能は http://bbs.c-studio.net/  の左上の方に入力枠があります。
お世話係なかにしさんからのコメント(2000年04月01日 14時45分17秒 ) パスワード
  

 あ、それから、前のシステムでは、メッセージ一覧を出したときに未読のあるなしを、文字の色で識別できましたが、今はその辺が書き込みに対応して正確に色が変わりません。

 ブラウザのリロードをクリックすると、未読のあるメッセージの色が未読色(わかりにくい表現ですいません)になりますので、とりあえずはリロードボタンでご確認ください。

 ここのところも、システムのSAGさんに改良をお願いしていますので、近日中に改良されると思います。
服部 明子さんからのコメント(2000年04月04日 11時38分42秒 ) パスワード
  

全然関係無いですが。

「紫式部の蛇足と貫之の勇み足」

萩谷 朴
新潮選書
1000円

「紫式部日記」と「土佐日記」。。。2つの名作には何故こんなに蛇足と勇み足があるのか?

けんさん60年、初めて明らかにした1000年前の2天才のほんとの心。
SAGさんからのコメント(2000年04月05日 22時05分29秒 ) パスワード
  

”平熱”の過去データの変換完了しました>なかにしさん。

手数料として、MOはお返ししません(笑)
SAGさんからのコメント(2000年04月05日 22時41分54秒 ) パスワード
  

そうそう、全文検索ですが、テスト運用では結構いい速度で動いていたのですが、
本番データを引っ越してきたら、とたんに遅くなりました。(T_T)
で、しょうがないので今、サービスを止めています。

で、これをインデックスをリアルタイムに作るのではなく、1日に1回インデックスを作る形に変更しようと思っています。
(当日の書き込みは検索対象にならないという問題はありますが)

このため、システムの変更に時間がかかりますので、申し訳ないですがしばらくお待ち下さいm(__)m >皆様

なかにしさんからのコメント(2000年04月06日 02時18分37秒 ) パスワード
  

>手数料として、MOはお返ししません(笑)

 ずいぶんとお安い手数料ですね。ありがとうございました。
服部 明子さんからのコメント(2000年04月10日 06時58分13秒 ) パスワード
  

玄奨(げんじょう)を偲び写経奉納との毎日新聞の記事が3月頃にありました。



「写経で有名なのは平家納経。1164年9月平家一門32人が1人1品
厳島神社に奉納したが、棟梁の平清盛が一門の栄達を願って納めたのは
般若心経だった」と。



奈良・東大寺の平岡定海長老(76)によると
般若心経は唐代学僧・三蔵法師(玄奨)がサンスクリットの「大般若波羅密多経」
(だいはんにゃはらみったきょう)を漢字に翻訳した1番短い仏教概論という。

玄奨が持ち帰った経典は大半が中国・西安市の大慈恩寺で漢字に訳され
大雁塔に保管され、その訳経は遣唐使によって日本にも伝わり仏教文化が広まった
のだそうです。



中国・西安市で建設が進む「玄奨三蔵記念館」に今年、三蔵法師(玄奨)を
偲び写経が奉納されるそうです。紙・経箱などは日本の伝統工芸技術を駆使。



写経紙は約1300年の伝統を受け継ぐ石州半紙技術者会(国の重要文化財)
(島根県三隅町)が正倉院御物の例に従って「雁皮=がんぴ」を使って1枚ずつ
「大雁塔の透かし」を入れてすいたそうです。



写経は虫よけの為に藍染めの絹布に包むが、この絹にも大雁塔の透かしを
入れ、伝統技法で染め上げるのだそうです。



経箱を手掛けるのは石川県輪島漆器商工業組合の職人達。
桐材を使い、箱の表面が朽ちるのを防ぐ為に1度焼いて炭化させ、漆を重ねて
いくのだそうです。

2月から塗り師、坂口寿彦さん(61)が中塗り作業に入り、7〜8月ごろに
上塗りをして仕上げるのだそうです。
服部 明子さんからのコメント(2000年04月10日 07時08分19秒 ) パスワード
  

日本経済新聞3月15日の36面「私の履歴書」より:

奥田元宋(日本画家)



戦時中、芸術の対象として新たな世界に挑戦する意味で描いた武者絵が1941年第4回新文展に出した「火牛」。


「火牛の計」の火牛で、これは牛の角に刀を束ね、尾に火をつけて敵陣に放つ奇策を言う。


実家で飼っていた牛を描いたスケッチや甲冑を多数所蔵していることで有名な愛媛の大山祇神社で取材したスケッチをもとに作品を描き上げた。
SAGさんからのコメント(2000年04月10日 13時02分20秒 ) パスワード
  

>全文検索ですが、テスト運用では結構いい速度で動いていたのですが 本番データを引っ越してきたら、とたんに遅くなりました。(T_T)
>申し訳ないですがしばらくお待ち下さい

検索プログラムが完成しました。

クリックタイムスの表紙の"seek"や
投稿検索で全文検索をチェックしたときに
全文検索を動くようにしました。

”かなり”速くなっているはずです(笑)

服部 明子さんからのコメント(2000年04月10日 13時19分24秒 ) パスワード
  

ありがとうございました。
お疲れさまでした!
なかにしさんからのコメント(2000年04月16日 23時54分57秒 ) パスワード
  

 安徳天皇をまつる、下関市の赤間神宮ですが、昨年の台風で、屋根が破損して、その工事が福岡県の宮大工さんによって行われておりました。

 かなり長期にわたる工事でその間はライトアップなども中断されていたのですが、読売新聞下関版に寄りますと、水天門や回廊関係の修復が完了したそうです。

 下関では、平家の女官が赤間神宮に参る姿を再現した「先帝祭」がゴールデンウイークに毎年開催されますが、なんとか、それに間に合ったようです。社務所は未だ作業中とのことですが、こちらもGWまでにはなんとか、とのことです。
服部 明子さんからのコメント(2000年04月24日 22時00分03秒 ) パスワード
  

私の友人達男女から判断するに、
三重県北勢町の男女は平安時代の雅な男性女性の子孫なのかな?と。
三重県北勢町の住人全てを知ってるわけではありませんが
お醤油顔系の日本的なかなかの美形です。
なかにしさんからのコメント(2000年05月01日 00時38分57秒 ) パスワード
  

 話はそれますが、出雲大社の巨大神殿跡から、社伝の記述を裏付ける柱のあとが出土しましたけど、平安末期のことだそうですね。

 これだけの建造物の話が平家物語周辺の書物には登場しませんが(しませんよね?)、当時の出雲っていうのは別の世界だったんでしょうかねぇ・・・。

 それにしても、もし、本当に高さが48メートルもある神殿だったらすごいですね。
服部 明子さんからのコメント(2000年05月01日 06時43分41秒 ) パスワード
  

古代には凄い力を有していたそうですが
藤原鎌足あたり頃には
鉄の産地は常陸あたりに移っていたようで
大和朝廷に支配されるようになってからは急速に衰えたのでは?と思いますが。

服部 明子さんからのコメント(2000年05月02日 09時28分25秒 ) パスワード
  

三重県藤原町へ滝を見に行った人の書き込みを読んでいたら
「藤原町は平家の落人の土地だ」と書かれていました。

ちょっとちょっと。。。


藤原秀郷の子孫が下野から伊豆に移りさらに伊勢に移って定住した場所が
伊勢北部ですから落人になって隠れ住んだというニュアンスで書き込みされるとワタクシは。。。


藤原町と北勢町はもともと藤原秀郷の子孫の移った場所ですから
壇の浦での敗戦後、平家の一族が父祖の地に戻った、と書いて欲しいです。

伊勢は永きにわたって鎌倉幕府に抵抗し続けたのですから
その本拠地が藤原町であり北勢町なのですから
平家落人伝説ではなくて平家一門の拠点の1つと認識して欲しいです。
服部 明子さんからのコメント(2000年05月02日 10時40分41秒 )
  

本人によりコメントは削除されました。 2000年05月02日 10時41分49秒
服部 明子さんからのコメント(2000年05月02日 10時43分01秒 ) パスワード
  

http://www.aasa.ac.jp/people/onomi/3311.html

三重県・関の関連URLです。

「関宿」は国の町並保存区域になっているそうで
なかなか面白いところのようです。

その昔、平 重盛3男の資盛が、若き日に無礼事件を起こして
追放されていた土地でもあります。

土地の娘との間に子をなしているそうで
織田信長は子孫だとして「平氏」を称していました。

なるほど、織田氏は藤原氏出身の神官でもありますから
資盛の現地妻の実家・関氏も平氏系および藤原氏系ともとれるなぁ、と納得。

それで「関」氏は通字に「盛」をお使いなのですか。


これで行きたくなりました。
服部 明子さんからのコメント(2000年05月02日 11時24分32秒 ) パスワード
  

伊賀の与野の桜の話題を見つけました。
去年行ってきました。
まだ若い木でしたから
平安時代にも源平争乱時代にもトリップ出来ませんが
また行きたくなりました。




予野の花垣神社:

芭蕉は元禄3年3月ここに遊んで「一里はみな花守の子孫かや」と詠んでいる。
その句碑が神社の神頭に立っている。
神社から道を左へとり、山に沿うて行くと、天然記念物の八重桜がある。
花垣の八重桜は奈良の親木だといわれているが、
現在のはその後の植樹である。
服部 明子さんからのコメント(2000年05月02日 12時59分17秒 ) パスワード
  

愛知県の一宮城:




平重盛子孫関氏は熱田の宮司 をたよりに一宮の神主となっ た。

その後、何代か真清田神社
の神主をしていたが社領を守
るために城を構えた。

その後 不破六広綱の城となった。

天正18年(1590年)広綱が去っ
てからは廃城となった。



いくら子孫とはいえ
源頼朝の母方の熱田さんの世話になるなど
とは思っても背に腹は変えられぬ
ということでしょうか?
服部 明子さんからのコメント(2000年05月02日 13時10分14秒 ) パスワード
  

http://www1.plala.or.jp/CUE/cave_kagekiyo.html

景清の隠れていたとされる鍾乳洞です。
小郡から行きます。
なかにしさんからのコメント(2000年05月03日 01時36分01秒 ) パスワード
  

 景清洞は何度も行きました。秋芳洞のような観光客が大挙して訪れる洞窟にはない、洞窟らしさがありますよね。
なかにしさんからのコメント(2000年05月07日 09時56分38秒 ) パスワード
  

 九州の五木村も平家伝説で有名ですが、近所のスーパーにこんなのがあったので買ってみました。



 五木村のお茶だそうですが。内容的には普通のそば茶です。
 あ〜、五木村行きたくなってきた。
服部 明子さんからのコメント(2000年05月07日 11時59分16秒 ) パスワード
  

「そば茶」???

「そば湯」は栄養がありますから「そば茶」も?

五木村。。。
なつかしいですね。
[24]無料情報なら業界最大の的中率!!さんからのコメント(2011年04月10日 21時47分05秒 ) パスワード
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