title-l.gif (1172 バイト)平家物語の雑談電子会議室 WS彦島

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平家物語の雑談 その1 (1998.4.26〜1998.5.31)

・赤間神宮がWebサイトを開設
・文部省唱歌「那須与一」
・京都大原の寂光院に行き、そばの山に登ってきました
・雑誌の「歴史と旅」の6月号は「源平盛衰三十年戦争」が特集です
・大学の卒論のテーマを「平家物語研究。壇の浦合戦における先帝入水について」にしてしまいました
・宗盛は父親としては良いお父さまだった
・富士川の戦いの水鳥に驚いて平家が逃げ帰った話はどこまで本当なのか?
・宗盛は屋島に陣を置き、知盛は彦島に陣を置いたことの意味
・ 平家の滅亡の意味は 荘園制=古代国家 の崩壊
・やっぱり私は平 知盛が好きです。惚れ直しました
・私の通勤経路は車で出社するときは壇ノ浦の古戦場を右手に見ながら壇ノ浦に沿って進みます
・さて仏岩について書かなくてはいけませんね
・平家の滅亡以外に歴史のアダ花とされるのは何かな?
・平田家継という人の事が少し竹内氏の本に書かれていました
・平家物語は悟りきれない人間の愚かしさや矛盾、悲しみ、喜びを書くことで、生き生きとした「人間の物語」を描こうとしたのではないか?

平家物語の雑談 その2 (1998.5.16〜1998.6.11)

・壇ノ浦の合戦は下関壇ノ浦で行われたのはないかも知れない
・子供のころ屋島の合戦の後、四国の檀の浦で平家は滅びたのだと思っていました
・結局、平家は西海で何をしたかったんでしょう?
・宗盛は貴族化して有職故実?に沿って正々堂々戦おうとし、奇襲を好む義経に負けたのかしら?
・後白河法皇と崇徳天皇の母親、待賢門院たまこ
・保元の乱は崇徳天皇が藤原頼長に利用された事件だったと思うのですが
・臨戦態勢に入っているということは山の麓に陣を張ることなのですか
・梅原 猛の「地獄の思想」
・彦島のピラミッド 安徳天皇はUFOに乗って壇の浦から脱出!
・後白河は源平盛衰30年を見守ったキーパーソン!?
・「彦島」に仲哀天皇が出て来て意識が変わりました
・赤間神宮の平家蟹の絵は蟹顔の方が教盛じゃないか?
・瀬戸内海に栓をするかの如く存在する彦島は黄泉の国への入り口とされていた

平家物語の雑談 その3 1998/6/11〜1998/6/17

・赤間神宮の平家蟹の絵
・蟹顔
・後白河法皇が大原へ建礼門院を訪ねた理由
・彦島には義経や梶原景時の記念になるものが何故か無いことについて
・彦島で平家は何をしたかったのか
・彦島に人が多く住まなかった理由とは?
・源氏と平家の決定的な差とは
・義経はノーテンキ
・義経=松本ちづお 説
・扇の的の「御状」は義経の命令だったのか?
・知章や敦盛の年齢は?

平家物語の雑談 その4 1998/6/18 〜 1998/6/23

・「知盛幻生」
・清盛も池の禅尼の言葉を聞かずに頼朝を殺していれば・・・
・平治の乱で頼朝を助けてしまった池の禅尼宗子、池の大納言頼盛、池の大納言家の家人宗清の気持ちはどんなだったでしょう?
・義経も建礼門院に手を出した
・宗盛がさっさと屋島を捨てたのは、屋島の人にとっては幸運でした
・頼盛の家が平家没落以前に変わらぬ繁栄を続けたという話は「頼朝は冷酷無比の人間じゃなく。。。池の大納言家にはちゃんと恩返しをしている」との鎌倉方のプロパガンダ又は平家物語の作者達の鎌倉への遠慮があった
・院政時代に男色は花開いた?
・平家一門の都落ちでは京の遊女達も同行していた? 現地調達だった??
・教経ってきっと桃の花のように華やかな美男子だったんじゃないかって思うのです

平家物語の雑談 その5 1998/6/24 〜 1998/6/29

・頼朝は命を助けられて平家を倒して何を思ったか・・・
・「東は源氏、西は平家で」と提案したのは後白河法皇の方らしい
・「源平盛衰記」「玉葉」「吾妻鏡」・・・本の値段が高すぎる!
・「子午線の祀り」
・誰も語らなかった彦島「身投げ岩」の本当の歴史
・知盛と教経は「明かるく」死を選んだと思う
・怨霊史観という歴史の見方から言えば、非業の死をとげた人々は祟り神になる
・宗盛についてどう思われますか?

平家物語の雑談 その6 1998/6/30 〜

・「地獄の思想」やっと読みました
・平家物語から題材をとった能は悲劇性、優美さ、荒々しさが程よくブレンドされていて、源氏物語系の能より好きです
・重衡といえば、悲しい性か千手前の方が気になります
・教経殿は凄味を感じさせるストイックな男
・ナルシストの代表は資盛
・重衡は「平家物語」の語り手達に1番愛された人物だったのではないかと思います

平家物語の雑談 その7 1998/7/5〜

・重衡を南都側に渡して処刑させたことは非道であると、当時の民衆たちは思っていたようですね
・重衡様の相手役としてはまるのは、輔子や千手より内裏女房の方かなって思います
・重衡の死後、千手がどうしたかというと・・・。どうしたでしょうね?
・下関市立美術館において、「瀬川康男展」が開催されています
・平家の人々も武士なので、平和な時は武技の鍛練してたのでしょうか??
・義経の愛人静御前の強さ
・建礼門院右京大夫は時代を考慮すれば勇気ある女性として静御前に負けない「愛に生きた女」だったと思うのです
・戦国時代から近世にかけての系図ブーム(?)などで、随分とニセの家系図が作られたようですし、近世以前の系譜は名家でもなかなか信用できないですよね

平家物語の雑談 その8 1998/7/14〜

・「新平家物語」について
・「小松系」の男の魅力
・木曾系っていうのは「源氏の悲劇性」を一族で負ったって感じです
・兼平を気遣って振り向いたその瞬間、眉間をいとおされた義仲、その義仲をおって刀を口に含んで飛び降りる兼平・・・ああう〜素敵すぎます
・爛熟腐敗寸前の平安という時代を背負って、いっきに咲いて滅んでいった徒花のような清盛の一族にとても魅かれます
・義仲の結婚話

平家物語の雑談 その9 1998/7/25〜

・義仲と「松殿の姫」との婚姻
・常磐
・訓読玉葉
・通史としての入門書で一番役に立つのは中公文庫の「日本の歴史」シリーズですね
・「摂関政治」というのも事実上は後三条天皇即位の時点で有名無実となっております
・義仲の生存説について
・王権という点から平安時代全体を分析した珍しい本で、岩波新書の「平安王朝」保立道久著があります
・「平 景清or藤原景清or伊藤景清」についての家系的背景

平家物語の雑談 その10 1998/7/30〜

・基本的に子供は母方の家で育つものだったでしょうから、重盛と時子の子供たちとの間は結構冷ややかなものがあったでしょうね
・「富士川の戦い」は平家にとっては不運な戦ですね
・「新平家」の俊寛、いいですよね
・教経殿ってカラミ酒なの?

(以下準備中)

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