会議室:「彦島と日向の伝言板」

7月の雑談 その3

発言者:服部 明子

(Date: 1998年 7月 29日 水曜日 10:13:50 AM)


今日マイケル・ジャクソンがウチの飛行機でロスに帰って来ました。
でも人に見られたくないということで長々とファースト・クラスにカーテンを引いて隠れて
ました。
私も見たかったので頑張って待ってたのですがとうとう出て来ないみたいなので諦めて
仕事場に行きました。
見た同僚に言わせると「白人よりもずっと真っ白い肌で、小柄というけれど小さい訳じゃ
なくて1メートル70ちょっと位」だったみたいです。顔は黒いマスクで目だけ出していた
そうです。
赤ちゃんを誘拐されたくないからソックリの人工のお人形を用意していて。。。乳母も
連れていたとの事でした。
よく分かりませんがパラノイドでしょうね。そんなに見られたくというのにお掃除の従業員
に「マイケル・マイケル」って騒がれて「ハーイ!」とご機嫌良く挨拶してくれたそうです。


杉崎泉照 さんからのコメント
( Date: 1998年 7月 29日 水曜日 5:42:36 PM)

服部さま。絵描きは体力勝負なんですよ〜。それこそ、筆より重いものは出来ればもちたくないんですけどー。

マイケル・ジャクソンの赤ちゃんダミーは、月齢ごとに大きくしていくんだろーかー。なぞですー。あんど・・どこで作ってるんだらふ。
蝋人形みたいなかんじなのかしら?木製?樹脂製?素材がきになります。(笑)

なかにしさん。(でもどうして服部さま。でなかにしさんには「さん」?)高所と火事は考えちゃうときりがないくらいコワイですよね。
横浜の地下街もそういう点、こわいよー。


なかにし さんからのコメント
( Date: 1998年 7月 29日 水曜日 7:04:08 PM)


 きっと日本で売れ残ったキャベツ畑人形なのでは?(これこれ ^^;)。

 意外と、ダミーと見せかけて、人形がパカッと開いて、中に本物が入ってるとか。冷暖房&トイレ内蔵人形・・・。

 私の大学時代の友人に教育学部で美術をとっていた女性がいましたが、「みんなおしゃれな格好してるのに、美術の人間だけはいつも汚い」と常々言ってました。今は大阪でバツイチやってます (^^;)。

 ちなみに、私は農学部でしたので、やっぱり汚かったです (^^;)。ポケットのあたりが茶色くなった白衣着て、学食でごはんに卵かけて食べてるのが普段の姿でした (^^;)。


なかにし さんからのコメント
( Date: 1998年 7月 29日 水曜日 7:04:47 PM)


 ところで、マイケルジャクソンって子供がいるんですか? (^^;)


服部 明子 さんからのコメント
( Date: 1998年 7月 29日 水曜日 9:39:33 PM)

私は見た事ないのですがエリザベス・テーラーもウチのが好きでよく利用していたのですが
2年くらい前、犬を連れて乗りたいということで、お断わりして日本航空を紹介したので
今では御愛顧ないでしょうね。マイケルが児童ワイセツ行為で騒がれてた時テーラーさんは
シンガポールのマイケルを励ましにウチの飛行機で行きました。聞いた所によると20時間
のフライトでくしゃくしゃに疲れたオバサン顔で戻って来たとのことでした。やっぱり顔が
勝負の人なので専属の美容師も同伴してたけど間に合わないわけで人に見られたくないとい
うの当然なんでしょうね。

マイケルは一頃×1のリサ・プレスリー(エルビス・プレスリーの娘)と結婚してたのですが
仮面夫婦を辞めて「ぼくの子供を生んで欲しい」ということである人に生ませたのです。この
子供の写真を某週刊誌に取らせるのに200万ドル請求した、と昨日噂を聞きました。

私の姉は大学院までバイオリンやっててやっぱり綺麗な格好をしていました。美術系の人って
いつも確かにヨレヨレで、日本のテレビ局の人も汚ないカッコしてるけどアメリカも影像系の
人は汚ない感じのカッコをしています。私は影像系じゃないですけど買い物が苦手なので家に
居る時は汚ないカッコをしていてどこかに出かける時は親が持たせてくれたのを着て行くより
仕方がないので天地もひっくり返るような素材を着て行き、夫の従兄弟姉妹の所へ遊びに行っ
た時ここは某石油会社のオーナーの家なので使用人達から「ヨッポド金持ち」と思われてしま
い恥ずかしかったです。イギリス系って家にはお金を掛けるんですが衣服には興味がなくてこ
この従兄弟達もヨレヨレどころかTシャツの襟のところが擦れて破れているのを着てました。
パーティーにはタキシードとかそれらしいカッコをするんで(私ってイギリス系と合うんだ)
って思いました。日頃は雑巾着てる?とこ。。。 (^^;;;


服部 明子 さんからのコメント
( Date: 1998年 7月 30日 木曜日 9:21:10 AM)

中西さん
私も卵ぶっかけご飯大好きなんですが夫がぎゃーぎゃーうるさいんです。生卵なんて食べるな
って。こちらでは生卵=サルモネラ菌って印象なんです。私は「食欲」はドカ喰いだけで別に
食べる事が趣味じゃなくて胃に入る物ならなんでもok、特に自分が作らなくて済むなら更に
OKのクチで夫が人の作った物を食べさせられたくない人なので私の家事に炊事は入っていま
せん。杉崎さま、羨ましいでしょ?我が家の家事は洗濯だけ。。。ハハハ(^^;;;
ところでウチの方では納豆を「名古屋人は半腐りの物は食べない」と言って食べないのです。

さて今朝ウチの隣の通りのOJシンプソンの家の解体があって朝からマスコミがニュースでう
るさいしヘリコプターもバタバタ飛んでうるさかったです。4年前の6月OJシンプソンが逮
捕された時はヘリコプターが13機だったかウチの家の上で取材をしててバタバタうるさくっ
てテレビのニュースが聞き取れませんでした。陪審制度による刑事裁判では無罪でしたが民事
裁判では有罪で殺された人の家族への慰謝料を払うのに家が売られたのです。銀行が売りに出
して約400万ドル近い金額で買った人が新しい家を建てるのに今日取り壊したのです。

さらに不倫疑惑のモニカ・ルウィンスキーの両親宅もウチの家の結構近くで今まで静かだった
我が家のあたりが最近スキャンダルで賑やかで迷惑しています。


杉崎泉照 さんからのコメント
( Date: 1998年 7月 30日 木曜日 11:15:05 AM)

はっとりさまー。うらやましいですー。うちは掃除あんど洗濯が私のやくめー。炊事はたまーに皿荒い。料理と買い物はほとんどダンナ担当です。(笑)うちもともかせぎみたいなものなんで、家事は「気がついたものがやる」というかんじです。

なかにしさん、「美術関係者」は普段汚いんですか一般的に。
私だけかとおもってた(^^;)でもって美術関係者のオシャレってセンス悪いんですよー。「なっなんでそんなかっこうするの?」みたいな。懇親パーティーとかでると、なんか怪しい占い師系とかおおいです。(笑)


杉崎さま さんからのコメント
( Date: 1998年 7月 30日 木曜日 0:03:41 PM)

ウチは掃除は。。。(^^;;; です。夫が「なんか、ちょっと、最近、、、」と思ってもアメリカって
奥さんが「汚ないと思ったらどうしてアンタが掃除しないの?」と言う国なので夫は怖がって絶対
口にしません。夫の母は「私はロンに何でも出来るようにしつけて来た」と私に言ったほどです。
私が夫の物をアイロンかけていたら「どうしてロンにやらせないのか」と叱られてしまいました。

私は結婚半年は家事を完璧にやっていたのですよ。毎日洗濯して掃除して料理?もやってました。
でもとうとう夫が私に言ったのです。「今まで遠慮して言わなかったけどどうして毎日そんな事して
るの?他にしたい事がないの?」と。アメリカ人に言わせると洗濯なんて「貯めて」からするもの。
掃除機毎日かけたら「絨毯の毛が取れちゃうでしょ。」そして夫は「自分の食べたい物を食べたい時
に食べたいから作って待っていて欲しくない」という事で、1991年7月に友人の某助教授が「生
徒がアメリカに来る」というのでおすしとチキンを料理して差し入れしたのが記憶にある私の料理暦
であります。おすしにチキンというところが(^^;です。

本当にアメリカって食事中に夫が「バターが出てないね」と言おうものなら「冷蔵庫に入っている
に決まってるでしょ。」と奥さんから言われてしまう国なのです。私の友人の昔のクラスメートが
シカゴから新婚早々の我が家に遊びに来てくれた時私がお皿を洗っているのを見て「馬鹿ねぇ。夫
操縦に失敗したわね」といいました。で、今は私は私の食べたい物を、夫は夫の食べたい物を食べ
ています。私はなんでも食べられるし、絶対文句言わないし、これでウチはうまく行っています。


服部 明子 さんからのコメント
( Date: 1998年 7月 30日 木曜日 0:05:56 PM)

ごめんなさい。自分の名前を「杉崎さま」にしてしまいました。 m(_ _)m


杉崎泉照 さんからのコメント
( Date: 1998年 7月 30日 木曜日 3:16:42 PM)

あたしって、もしかしたらアメリカ人かも・・・!!(笑)

なんか我が家の生活のよーで・・。でもこれって近所の普通のご家族に知れるとモーレツひんしゅくなので、そとづらだけは「主婦業してますよ」って顔してます。(でも実際やってないのでいざというときバレバレ・・・動作がぎこちないー)ここだけの話しに・・ってネットでかいてどーすんのって(笑)
わたしも結婚2年くらいはちやんとやってたかなー。うちはアメリカ人は一人も関与してないんですが、ダンナが独身のときぜんぶ自分でやっていた時期がながかったせいもあって、自然といまのペースになってます。うちのダンナは家庭菜園から漬物から買い物からとっても凝り性なので、おおざっぱな私の働きぶりをみていると自分がやらずにおれないみたいです。
さすがに出張前夜中に自分でズボンのすそあげをしているところを見たときはちょっと可哀相になってしまいました。ドレメでてるのに、(得意なんですヨー洋裁)なんで頼まないのー?と。彼いわく
「自分で出来るとおもったから」。自力本願な夫婦です。まあこれがふつーの感覚なんですね。
でもちゃんとやってあげましたけど。
息子らもこんな感覚なんですけど、たまによその家庭にいったとき、あまりにも自分の同級生が母親まかせなのを見てあきれると同時にうらやましがったりすることも・・・。日本の母はカマイずき。


服部 明子 さんからのコメント
( Date: 1998年 7月 30日 木曜日 10:37:32 PM)

ウチの母は姉が6才で弟を生んで姉をベビーシッター替わりにコキ使い、それで姉は毎朝
イースト入れてのパン焼きから始める完璧主婦で、弟には「男の子はいずれ親の家を出る
ものだ」ということで自分の弁当作りも洗濯も全部やらせていたので弟は「ヨソの家は母
親が子供の世話をするのに」とブーブー母に文句を言ってました。

この私は。。。何にもしなかったですねぇ。。。食べる物がないと寝て待つほうで。下手
にチャーハン作ればどの油を使っていいのか分からず胡麻油を使って弟に叱られたりして
でも弟は大学では下宿して親に自分で何でもやらされた事を他の下宿生を見て感謝してま
したよ。「洗濯するのに箱の洗剤全部入れてやってるのがいたりして僕ビックリした」等。

それでこの弟は下宿に友達たくさんよんで寿司だのピラフだの作りまくって私そっくりの
なーんにもしない下宿のおばさんから「ガス代があんたのせいで掛かり過ぎる」と言って
追い出されました。

私は何をしても不器用でお茶を習いに行けば親達から「フクサ捌きがおかしい」と言われ
こんな調子だったので日本にいられなかったです。アメリカに来たら男に対しては凄く厳
しいのに女に対しては「あの人にはあの人のやり方や考えがあるんだから、あの人はあれ
でいいんだ」と物凄く寛大なのです。私がアメリカでチャーハン作ってたら「胡麻油って
健康にいいからサラダ油より適しているね」と言われたのかしら?と思いましたよ。私が
アメリカに住むことになって1番喜んでいるのは私の両親です。


なかにし さんからのコメント
( Date: 1998年 7月 30日 木曜日 11:15:41 PM)

おおおお・・・私が会社に行ってる間に主婦談義になってる(笑)。

 お二人とも良い奥様ですねぇ。あまり旦那を構い過ぎると旦那がぼけますからねぇ。家事も裁縫もさせた方がいいですねぇ。家でぼけてる分には本人の勝手なんですが、会社にその雰囲気をそのまま持ち込んじゃうんですよね。

 私の職場は研究所なんですが、(ここ参照→http://hp.vector.co.jp/authors/VA007945/d7000/akane/index.htm)、奥さんがあれこれ手を焼く気の利く人の旦那は会社ではたいていぼけてます。研究は立派にできるんですけどね、ペーパータオルが無くなっても自分で補充できない、使ったものはやりっぱなし、ゴミ箱は山盛り、ポットのお湯が無くなっても補充の仕方がわからない・・・。もう、いかに家で何もしてないか、という・・・。こんな旦那にしたらダメですよ。若くして廃人になってる人いっぱいいます。

 いかん、ぐちになってつい興奮してしまった(これこれ ^^;)。しかし、ほんとに基本的生活習慣のしつけられてない男が多すぎる!!

ここ参照


服部 明子 さんからのコメント
( Date: 1998年 7月 30日 木曜日 11:57:57 PM)

今あかねさんの漫画にアクセスして大笑いしたところです。

私も貰い物は右から左に回す方で貰ったものはアッと言う間もなく人にあげてしまいます。
見るのは好きですが買い物は面倒でしないんです。ハワイ滞在中はABCマーケットを利用してたので
100ドル買うと物が貰えるということでレシート集めて「マグカップ」に換えました。マグカップっ
ていいですよね。買うにも集めるにもプレゼントするにも1個で済むところが。。。 (^^;


杉崎泉照 さんからのコメント
( Date: 1998年 7月 31日 金曜日 9:55:49 AM)

ちゃーはんは・・・うちではゴマ油です・・・。中華味や和風でしたらこれがスタンダードとして使用しとります。ちがってたのか!?

そう、アメリカ在住の、「ダンナがアメリカ人」の友人からいつも「あなたはアメリカにむいてるからおいでよ」と国際電話でいわれてました。「おいでよ」・・・ったってあーた。英語はしゃべれないわ、アメリカいったってやることないわ、家族全員日本人だわ、どーすんのよ。といつも苦笑してましたが。いったとたん野垂れ死にだっーの。(笑)

なかにしさん。親戚に某企業の研究室にかつていた人がいまして、若くしてかなりいいとこまで行ったんですが、そのつど奥さんに
会社から内助の功を賞賛する内容の電報やら感謝状やらとどくんですよ。いまでもそんな風習のこってるのかしらー。15年くらい前ですが。
わたしには真似できんなーと子供ごころにおもったものです。
アスパラなんたらってドリンク剤のコマーシャルみるたびにゾッとするのはわたしだけかしら・・・・。奥さんがリレーのバトンがわりに
ドリンク剤を、トラックで疾走中のサラリーマンたちにおのおのバトンタッチして、うけとったサラリーマンが苦しそうに全力疾走していくやつ・・・なんかゴールが墓場の気がしてとてもアスパラ**をダンナに飲ませる気になれません。
わたしはダンナが疲れたり風邪ひいてつらそうだと出張とかでも「やすんじゃえばいいじゃん」という極悪妻です。
あっそうそう、だんなに「ママ」とか「お母さん」って呼ばれて平気な奥さん多いみたいですけどこれだけは許せんです。子供は産んだけどダンナは産んだ覚えない。っていうのが持論です。


服部 明子 さんからのコメント
( Date: 1998年 7月 31日 金曜日 2:34:46 PM)

私もアメリカに来てからは「休んだっていいんだ」って思うようになりました。でも未だcall
in sickは本当のところはしたことが無いです。その内しようと思いつつ仕事が楽しいから
ナカナカ休めません。上記のコール イン シックは病気だと会社に電話を入れることです。

杉崎さまもアメリカにいらっしゃったら楽だと思いますけど。芸術関係はビザが比較的楽に出
ると思いますが杉崎さまの場合は船で渡って来なきゃいけませんね。飛行機ダメだから。
時間かかりそう。。。

中西さんは学生の時は下宿していらっしゃったのかしら?私は下宿生活って、とても憧れてい
たんですけれど私が下宿してたら直ぐにミイラになってたんでしょうねぇ。結局親元を離れた
のは就職してからで会社の寮に入れられて賄い付きでしたから未だ生きてます。

でもねアメリカに来る直前に(ストーカー?してた男性の同僚がいてストーキング?の手伝
いをこの私が協力してて、この2人は直ぐに結婚しましたけど)この男が料理が上手くて、
私が風邪引いて寝込んでいたら「お粥」を作りに来てくれたりして、私の母がこの男と結婚
出来たらいいね、と言ってたんですけど、マサカ母にストーキングの手伝いをしてあげてる
だけの関係とは言えなくて、、、だけどこの書き込みしながら思い出したんですけれど私の
周りの男の子って料理が得意だったわ。普通は女の子って男の子の下宿に料理しに行ったり
するんでしょ?私の場合は男の子が私にいろいろ料理を教えに来てくれて母が喜んでました。
私の夫もそういえば私が台所でゴチャゴチャやってると見るに見かねて。。。だったような
気がします。

私はぶきっちょでクラスの女の子達がレース編みとか編みものを始めると直ぐ真似して私も
やっていたんですけど父が見かねて「お金をやるから買って来い」と言ってました。ゴチャ
ゴチャやってる内に白い糸がうす汚く変色してしまいましたし、裁縫系もダメで学校のバザ
ーで生徒の作品を売る場合私のだけ売れ残ってしまい(私のをただにします)と言っても客
が断わる程で、その理由が最近分かったほどの才能無しでした。靴下編めば右足を2足編ん
じゃうし、言う事だけ立派で「早く彼を見つけて彼の為に編んであげたいわ」と男が真っ青
になるようなのを編んで私自身はニカァーっと笑ってました。 (^^;;; これだけ私の事を
分かっている父だったので、だれでもいいから私の事を好きになってくれる男の子に早いと
ころ押しつけたがっていましたよ。夫が日本に来てお酒を飲む様になったことを知って父が
「あれ?ロンさんってお酒飲まなかったんじゃなかったっけ?」と聞いて夫が「結婚したか
ら」と冗談で答えたのを?真に受けて父が申し訳ない顔をしたくらいでした。


杉崎泉照 さんからのコメント
( Date: 1998年 7月 31日 金曜日 6:05:11 PM)

ここのところ夕方になると夕立が来そうな暗雲たちこめた天気になるため、調子がくずれます。(気圧の変化がダイレクトに身体にくるんです。う〜)
上記の発言は、もう発言者のところを杉崎にしてもよくってよ、っていうくらい酷似してます(^^;)
10代までは、家庭科、美術関係はまったくできませんでした。
マフラーあませりゃ末端が肥大し、毛糸が薄汚れていくわ、水彩画かかせりゃ色がはみでてどーにもならんわ。それが20代をすぎてから突然、いままで脳から手までの神経がちゃんとつながってなかったんじゃないの?とおもうほど、逆にすいすいこなせるようになりました。パッチワークが趣味なんですが、子供らの服なんかも良く縫いました。アメリカンコットンはとっても織りがしっかりしてて、洗濯にもよく耐えるので、それこそちょくちょく仕事でアメリカにいく友人に頼んで、生地をわけてもらったりしてました。しかも安い!!最近は水墨画の方に時間をとられて、すっかり洋裁はしていませんが、部屋の小物を作ったりするのは大好きです。

あめりかへ船でいったら〜世界一周の途中でおろしてもらうんでしょうかー。時間も費用もべらぼう・・・。

ひとつ服部さまに質問なんですがいいですか?
「自分は将来外国に住む」という予感みたいなのってありましたか?漠然と・・・みたいな。

じつは私はなーんの宛ても脈略もないのに、年をとっておばあさんになったころ、なんか外国にいそうな感じがするんです。
もしや息子らが外国の人と結婚するんだろーかー???


服部 明子 さんからのコメント
( Date: 1998年 7月 31日 金曜日 10:53:40 PM)

杉崎さま
小学校の時に父方の親戚になる人のやってた名古屋港近くの*早朝塾*で有名な所に通って
まして、無事名古屋のドイツ系ミッション・スクールに合格が決まってから「英語」を少し
教えてくれて、塾の行き帰りに港の外国人の英語の単語が1つ2つ分かっちゃったりして
漠然と「外国」に憧れてはいたんですけど。。。世界中に出ていけたらいいな、とか。
*この塾は朝5時に始まりました。

中学生になってからドイツに憧れていましたけど、ドイツ語全然ダメで大学では皆さんより
余分に時間掛かっちゃって (^^;;; やっぱり英語の世界しかないと現実に目覚めたんです
けど現実には私に「男」が出来まして、 (^^; だけど。。。。。。。。。。。。。。。
性格にお互い問題がありまして、私は相手のハンサムな顔しか見てなかったし向こうは私の
少女的部分の可愛い所しか見てなくて、こじれにコジれて。。。大略。。。アァ、冷や汗。

その後仕事先で「平家物語館」に書いた「北条仲時さまにそっくりな男」と出会い、心が、
(この男は仲時さまじゃない)と目に勝って、私にはそろそろ年という現実が迫ってて父が
「この子なら明子の凄い性格にも絶対一生気が付かないだろう」という男を見つけて来て母に
言って、母は早稲田出たズボンはいてる男なら誰でもokだったから喜んでたんですけど「明子
はそーゆータイプは3日で我慢出来なくてけ飛ばすから明子の夫は自分で見つけさせるより」
と言ってくれて私は「私は日本の男では一生落ち着かない気がするから外国に夫を捜しに行き
たい」と言いまして、両親が両手を挙げてほっとしたわけです。

上記に書いた「北条仲時」にそっくりな男が私に協力してくれまして、神戸のアメリカ領事館
にも付いて来てくれて領事館の人達は彼の余りにハンサムで品の良い顔に私の恋人と思ってく
れてアメリカ入りの*ビザ*を出してくれました。上記の男は「アメリカに行くんだったら
日米安全保障条約から読んで領事館の面接を受けなよ」と言ってくれてアメリカがどういう国
なのか私にしっかり教えてくれました。こういうところは「政治」してるから「仲時」さま
みたいな人ですけど。
**若い未婚女性のアメリカ訪問ビザはアメリカ男と出会って結婚するのを阻止する為アメリ
カ合衆国としては極力出さない方針なのです。

私の友人達は私が無事アメリカに行けることになって「彼と別れるの?勿体ない!」と既婚者
は言い、未婚者は私がアメリカに着いた途端彼にアタックを始めたと聞きました。彼自身は
成田で私が心変わりしてアメリカ行きをドタキャンすると思っていたようですけど、私は成田
で彼の涙を見ても(私は私の夫は日本にはいないと思ってるからバイバイね)としか思って
いなかったですね。でも、もしアメリカで見つけられなかったら上記に書いた両親お気に入り
の男と結婚するしかないかな?と思ってたし、その男と離婚することになったら上記の「仲時
さまに外見似た」男の愛人になって一生を送ることにするかな、と考えてました。ハンサム
だったから連れ回すのに面白かったし、向こうは私に心を重ねていたから一緒に居て楽しかっ
たですよ。「平家物語館」に振った理由を書きましたけど仲時さまとは違って「我が首を差し
出すように」という人には思えなかったです。(その理由は下に書きました。)

でもアメリカに来てロンと結婚して「自分は蟹の生まれ変わり」と聞かされて「平家物語」の
世界にはまってから実は上記の「仲時さま」に似た*男の先祖が私の母方同様平家を裏切って
源氏方に付いた一族だったのが分かってギョッとしました。それにインターネットを始めて
から私の母方が鎌倉にずっと居たことが分かって(私の母方の先祖の女の子と仲時さまはちゃ
んと出会ってたの?!)と知って(あの人が私の母方の宿命の人だったの?)って思いました。
*苗字を書くと誰の子孫かすぐ分かってしまうので止めて置きます。

ところで1番最初に書いた男は「服部」という姓で、この男についてはこれ以上書かなくても
お分かり頂けると思いますが、アメリカに来てから知り合ったロンを知れば知るほどイロイロ
「服部さん」にそっくりなのです。ただロンと私がうまく行ってるのはロンがアメリカ人ゆえ
の言葉の差と私が自分の凄い性格が分かっている今は私の性格の凄い部分を出しちゃいけない
と自覚しているところと思います。やっと「結婚適性者」になれた?ということでしょうね。

私もこんな風に帰結するとは思わなかったのですがアメリカに来て「平家」の世界にはまると
は思いませんでした。父方の私の宿命の男のことも分かりましたし。「服部さん」じゃない
ですけど。私にとって「アメリカ」に来たことが運命だったと思います。ドイツじゃ私のこの
運命や宿命は分からなかったと思います。だからドイツ語が出来なくて良かったと思います。

杉崎さまも外国に「水墨画家」としてお住みになるかもですよ。イタリアあたり?


服部 明子 さんからのコメント
( Date: 1998年 7月 31日 金曜日 11:09:01 PM)

アーァ、私の男遍歴を書いてしまった。でも私の最初の男、800年前の人ですけど、
この人の事だけが今もって謎なのです。もう少しで分かりそうな気はするんですけど。
あのあたりだろうな、との感じはあるんですけど。

私の凄い性格は「服部さん」だけが知ってて、この人には悪いことをしたと思ってます。
でも「彦島」の「平家物語雑談」に書いてる時、性格がモロに出てしまうので自分では
変わってないな、と反省しています。