会議室:「彦島と日向の伝言板」

1月の雑談

発言者:なかにし@彦島

(Date: 1998年 1月 3日 土曜日 10:48:56 PM)



 冬休みから復活しました。今年もよろしくお願いします (^_^)。


なかにし@彦島 さんからのコメント
( Date: 1998年 1月 4日 日曜日 0:14:47 AM)

 梅田(大阪)の阪急の高架下に「阪急古書のまち」というのがあります。狭い通路の両側に・・・どのくらいかなぁ、十数軒の古本屋さんが並んでいるところです。

 ここの古本屋さんをすべて回って平家関連の書籍あさりをしてみました。

 狙いは「平家物語」の研究者の各種出版物、「平家物語絵巻」の壇ノ浦の含まれている巻だったのですが、結果としてはそれほどの収穫はありませんでした。

 実際に購入したのは「歴史読本」の昭和60年の平家の興亡が特集の号と、大学のテキストか何かみたいな一ノ谷から扇の的の間だけの記述しかない解説書・・・。前者は安いのでとりあえず買っておこうか・・・という程度で購入。後者は「扇の的」に関する平家の心理についての考察が成されているのが興味深くて購入しました。

 「平家物語絵巻」(当然近年出版された物)は1、2,3巻は見つけました。3巻が「足摺」で終わってます。お金に余裕が有れば購入したいところですが、パラパラとページをめくった程度で書架に戻しました。値段は付いていませんでしたが、たぶん1巻5〜6万円では?? 壇ノ浦があれば少々の値段でも買って帰るつもりでしたが残念でした。

 あと、延慶本の復刻版全3巻のうち1巻と2巻がセットで15,000円。程度もよく興味はあったのですが全巻揃いではないので見送り。

 龍谷大学版の「平家物語」全巻揃い5万円。

 シリーズ名は忘れましたが、大正時代と明治時代に発行された「平家物語」。それぞれ上下揃い。前者3,000円。後者5,000円。

 それから人形浄瑠璃なんかで有名な「義経千本桜」見つけました。店のおっちゃんが年末大掃除で忙しそうだったので発行年など尋ねませんでしたが(私は昔の字が字が読めないので尋ねないと解らない ^^;)、写本でボロボロの装丁と、けっこうそそられました。15,000円。これは買っておけば良かったとあとで後悔・・・。

 全然関係ないけど、ビートルズ4人の生サイン付き生写真が40万だったか、60万だったか・・・。


なかにし@彦島 さんからのコメント
( Date: 1998年 1月 8日 木曜日 1:43:07 PM)

 裁判せずにすぐに死刑だな・・・・

以下、asahi.com より

堺市で幼稚園児と母親、女子高生が次々刺され、1人死亡

 8日午前8時53分ごろ、大阪府堺市宮下町の路上で、登園途中の幼稚園児の女児とその母親、登校途中の女子高生の計3
人が、包丁を持った若い男に突然、次々に刺されたと119番通報があった。それぞれ堺市内など3つの病院に運ばれたが、
女児はまもなく死亡した。男はそのまま逃走したが、午前9時19分、堺南署員が現場近くで取り押さえ、殺人未遂の疑いで
緊急逮捕した。殺人容疑でも取り調べる。

 調べによると、死亡したのは堺市宮下町、私立幼稚園児の大国加奈ちゃん(5)。加奈ちゃんの母親の佳美さん(35)、
堺市津久野町三丁の私立高校の女生徒(15)が背中などを刺され、病院で手当てを受けている。

 逮捕されたのは堺市内の19歳の無職の男。上半身はだかで、黒色のズボンをはいており、髪の毛を茶色に染めているとい
う。調べに対して、刺したことは認めているが、興奮してわけのわからないことを言っているという。シンナーで補導歴があ
るという。

 男ははだしで、まず女子高校生を追いかけ、包丁で背中や頭、右手を刺した。さらに約100メートル走ったところで、送
迎バスを待っていた大国さん母子を襲ったという。

 目撃者らの話によると、現場には7、8人の幼稚園児とその母親らが送迎バスを待っていた。男がいきなり加奈ちゃんを後
ろから刺し、かばおうと抱きかかえた佳美さんの背中を刺して逃げたという。近くにいた人は悲鳴を上げて散り散りに付近の
住宅街に逃げこんだという。包丁は佳美さんの背中に刺さったままだった。


なかにし@彦島 さんからのコメント
( Date: 1998年 1月 9日 金曜日 4:55:10 PM)


 富士通のソフトウエア「TEO」に登場する「フィンフィン」(どんなのかご存じない方は富士通のトップページでバタバタとんでますので見て下さい)ですが・・・これって、仮想空間の生物と対話するソフトウエアで、フィンフィン自身が意志を持ってますから、なかなか自分の希望通りには行動してくれません。

 で、ある富士通の子会社が「TEO」のデモを一般向けに行ったときのこと・・・。海外では人気の高いこのソフトですが(以下の引用参照)、国内での売れ行きは今ひとつということで、コンピューターにはあまり縁のなさそうな人も含めてのでもん祖トレーションを行いました。

 お客さんは、そこらへんのオバチャンだったりします。営業の人が、いろいろオバチャンに説明しながらフィンフィンを呼ぶんですが、お腹がいっぱいなのかいっこうに画面に出てきません。で、しばらく呼び続けてあきらめかけたそのとき、ふいにフィンフィンが画面に現れました。営業さんがホッとしたその瞬間おばちゃんが叫びました

「ほら! 出てきたよ! はよ撃たにゃ!」

 オバチャンこれ、フィンフィン撃ち殺すゲームと違う・・・・(^^;)


参考:asahi.comより
仮想生物と交信できるパソコンソフトがヒット

 コンピューターの中で生きる仮想生物と交信できる――。マルチメディア技術を駆使した日本生まれのパソコンソフトが世
界的なヒットになっている。故手塚治虫さんの長男、真さんが企画し、富士通がつくった「TEO―もうひとつの地球―フィ
ンフィン」だ。すでに世界10カ国で30万本が売れた。開発に携わった人たちは「ソフトづくりで得た技術を、これからは
人とコンピューターを楽しく結びつけることに生かしたい」と話している。

 TEOは、ある惑星に住む仮想生物フィンフィンを主人公に、パソコンの中に生息する「生物」たちと画面上で交信すると
いう設定になっている。

 フィンフィンたちは、キーボードやパソコンに取り付けたアンテナを通して笛や人間の声を認識し、えさをやったりするう
ちに人になついたかのようにふるまう。逆に、驚かすと隠れ、夜は眠る。まるで時間を持ち、感情や生理現象をもつ生物のよ
うに見える。

 1989年、富士通にHI(ヒューマン・インターフェース)研究部が設けられ、人工現実感(バーチャルリアリティー)
の研究が始まった。

 そこで、92年に人工生物ソフト「シャルロット」が開発された。10匹の「生物」が人間の声に答えて近寄ってきたり、
大きな声に驚いたりする実験用のソフトだった。

 これが、TEOの出発点になった。95年には同社のパソコン「FM―TOWNS」用にTEOを売り出し、翌年、ウィン
ドウズ95用を販売した。

 いま、人気が高いのはドイツ、フランスなどの欧州で、約15万本が売れた。米国は約5万本。富士通は「販売地域別に少
しずつ違いをもたせているのだが、米国ではよりゲーム性が強いものが好まれるのかもしれない」と話す。

 今後は、米国向けに娯楽性をもたせたものをつくる計画もある。

 開発責任者で、電脳メディア開発部担当部長の村上公一さん(43)は、TEO開発のきっかけを「使いやすさではなく、
使いたくなるコンピューターとは何かを考えるうち、生きているように見えるものが必要だと気付いた」と言う。

 「例えば、電話なら向こうから人の返事があるので話しかけることができる。何の反応もないコンピューターとは、コミュ
ニケーションできない」

 村上さんは、生きているように見えるための要素として、「自分の時間軸を持ち、それが人間の側の時間軸と『同期』する
ことが必要だ」という。

 例えば、コンピューターの中で活動しているフィンフィンが、時間がたつとおなかがすいたようなしぐさを見せる。えさを
与えるとそれを食べ、生き物と対話しているように感じる。

 自分で認知し、考え、行動できる自律性をもたせることも重要で、つくった村上さん自身もそれぞれの状況でフィンフィン
がどのような行動をするのかは分からないという。

 TEOは娯楽用のソフトだが、ここで開発された技術を活用する研究が別途、進められている。

 その1つが「エージェント」といわれるソフトへの応用。エージェントは人とコンピューターを結ぶ技術で、これまでより
も抽象的な指示でコンピューターが人の求める目的を達成することを目指している。

 現在、インターネットで使用者が好むホームページを自動的に集めてくる「エージェント」などを研究中だ。さらに、音声
認識の技術などについても研究が進んでいる。

 村上さんは「仕事と遊びが半分ずつというような、人がコンピューターと楽しくつきあえるような技術をTEOから開発し
たい」と話している。


富士通トップページ


かず@山口 さんからのコメント
( Date: 1998年 1月 9日 金曜日 11:52:11 PM)

こんばんは!はじめまして
 お正月、母の実家がある江の浦にいきました。
小学生のころよく通ってた桟橋通りの辺の「まなべ」というおもちゃやさんとか
本屋さんとかお菓子屋さんもなくなっていました。
あの辺も寂しくなりましたねぇ。新しくローソンができてたけど・・・
 ちなみに僕の祖母は、「よしはら」というお好み焼きやさんを1年前まで
やっていました。小学生の頃、江の浦の公園で盆祭りがあって祖母の店に
たくさんの人がかき氷を食べに来てくれていたのを思い出しました。


なかにし@彦島 さんからのコメント
( Date: 1998年 1月 10日 土曜日 1:31:55 AM)


 かずさん、いらっしゃいませ。

 本屋さんといえば「成本(なりもと)」ですね。私もシーモールができるまでは本と言えば「なりもと」でした。プラモデルなんかも売ってたりしてましたね。「なりもと」の配達員の人がスーパーカブで「小学*年生」なんかを毎月配達してくれていました。

 「まなべ」も「よしはら」も残念ながらわかりません。お店を見ればわかるとは思いますが。

 現在は山口市ですか。良いところにお住まいですね。ではでは。


かず さんからのコメント
( Date: 1998年 1月 12日 月曜日 0:30:45 AM)

 そうそう、「なりもと」でしたね。僕もあの店で毎週のように少年ジャンプ
を買っていました。プラモデルも売っていましたねぇ。よくあの店で
プラモデルとか買っていました。
 そういえば、あの通りにある「ハート」というあの味のあるパチンコやさんは
まだありましたっけ?前に江の浦に行ったとき見るの忘れました。競争の激しい
パチンコ業界でとてもがんばっていますよね。
 
 僕の実家は一応下関市内にあるんですけど、下関球場の近くで自動販売機
もないくらい田舎だったので、日曜日に江の浦に行くのはとても楽しみで
駄菓子屋とかに弟とはしゃいで行っていました。
 江の浦も寂しくなったけどとても思いでのある町です。