会議室:「彦島と日向の伝言板」

平家落人の里・椎葉村

発言者:なかにし@彦島

(Date: 1997年 9月 11日 木曜日 2:42:26 PM)


 宮崎県日向市から来るまで2時間ほど山に入った人口4000人の小さな村、椎葉村には平家落人伝説
のひとつ「鶴富姫」伝説があります。

 およそ800年前、壇の浦の合戦に敗れた平家の武士たちは、源氏の追っ手を逃れてふところ深い山奥
へ逃げてきました。そして、ようやくたどりついたのが、山深き椎葉でした。しかし、この椎葉に平家が
隠れ住んでいることが鎌倉幕府の知るところとなり、平家追討のため那須大八郎がやってきました。

 那須大八郎が椎葉で見た者は平家の武将達は、山を開き農耕にいそしんでひっそりとくらしていました。
その姿を見た那須大八郎は追討をやめ、自分もこの地にやしきをかまえ、とどまりました。

 やがて、平氏である「鶴富姫」と出会い、いつしか姫と大八郎は恋におちました。3年後、那須大八郎
の元へ、鎌倉へ戻れとの幕府からの命令が届きました。自分が鎌倉へ戻って平家の追討が完了したと報告
しなければ姫をはじめとした落人達の平和な暮らしは幕府の追討軍によってうち砕かれてしまうと考えた
那須大八郎は直ちに鎌倉へ帰ることにしました。その時鶴富姫は、おなかの中にこどもがいました。

 しかし、平家の姫を連れて行くにはいかず、大八郎は別れに、「生まれた子が男なら我が故郷下野の国へ。
女ならこの地で育てよ」と言い残し、椎葉を後にしました。しばらくして、生まれたのは、かわいい女の子。
鶴富姫は、大八郎の面影を抱きながら、いつくしみ、育てました。

 こういうお話です。

 で、この椎葉村に向かうには日向市がその拠点となっていまして、彦島と日向の会議室が同居している縁
もあり(???)、また、鶴富姫は記録上は清盛の孫となっていますが、じつは安徳天皇だったのではない
か? などという、専門家の方には一笑に付されてしまうようなことを、半ば本気で考えていると言うこと
もあって、鶴富姫と安徳天皇、何か結びつくことはないか、それを調べるために日向を経由して椎葉村に
行って来ました。案内役は、最近平家物語に目覚めたという、日向市在住のいさぱっぱさんと、共通のお友
達の☆☆りんごさんのお二人にお願いしました。

 詳細は「彦島」のwebサイトの方にまとめますけど、深い渓谷の斜面に人々がひっそりと暮らしている本
当にいいところでした。鶴富屋敷というのが鶴富姫が住んでいたところにたっていまして、建物自体は鶴富姫
の時代以降立て替えられているとのことでしたが、鶴富姫が見たのと同じ椎葉の山々の景色を楽しみ、鶴富姫
のお墓にもご挨拶をしてきました。

 また、お昼ご飯にイノシシの塩焼きを食べたのですが、皮膚に毛が生えてまして、いちおは刈ってあるんで
すが、それでもいがぐり坊主状に短い毛がつんつん生えてまして、食べるときに口の中をちくちく刺激する食
感がなかなか珍しかったです。

 風景写真の現像が出来次第紹介しますのでお楽しみに。

 それから、いさぱっぱさんはせっかくのお仕事のお休みの日に、☆☆りんごさんはわざわざお仕事を休んで
おつきあい下さってありがとうございました。

椎葉村立 椎葉中学校


なかにし@彦島 さんからのコメント
( Date: 1997年 9月 11日 木曜日 2:57:48 PM)

1行目訂正  「来るまで」→「車で」

 ちなみに、車で、といえば、この椎葉村、離合もできないような細い林道
を走って行きます。車に酔いやすい方は酔い止めを飲んでから出かけましょう。
今回は3人で交代しながらハンドルを握ったのですが、わたしが運転している
ときに後部座席にいたいさぱっぱさんは、もうちょっとで助手席の☆☆りんご
さんに頭の上からゲロを浴びせてしまうところでした。

 イヌのウンコ踏んで「ウン(運)がついたね」とはいいますが、「ゲロがつ
いたね」じゃぁまるっきりそのまんま(これこれ ^^;)


いさぱっぱ さんからのコメント
( Date: 1997年 9月 11日 木曜日 11:37:51 PM)

あやうく、ゲロはいて みんなにあわおどりさせるところだったいさぱっぱです (^^;)

しかしほんと楽しかったです
一笑に付されるようなことでも、なにかわくわくして期待をもってしまいますね

安徳天皇が身を投げたのが1185年 当時8歳
那須大八(なすのだいはち)が椎葉に入ったとされるのが1204年
この間19年たってるので、安徳=鶴富だとすると27歳になってるはずですが
椎葉で聞いた 大八 鶴富出会いのときは鶴富姫18歳とのこと
ちょっと 年が合いませんね・・・(^^;)
ロマンをかき立てるために18にしたんじゃないのぉ〜・・・(これこれ^^;)

源氏が見つけられなかった剣が椎葉山中から見つかりでもすれば
歴史がひっくり返りますね・・・・ その子孫は今でも健在ですので
なんと 天皇の子孫てことになりますね・・・・あぁう くわばらくわばら (^^;)

Webサイトでのまとめ 楽しみにしてます


いさぱっぱ さんからのコメント
( Date: 1997年 9月 11日 木曜日 11:40:14 PM)

ちなみに 那須大八の故郷 下野国(しもつけのくに)は 調べたら
今の栃木県ですね


なかにし@彦島 さんからのコメント
( Date: 1997年 9月 12日 金曜日 7:56:50 AM)

 でもね、学説っていうのはあくまでも説であって、誰も見てきた人はいないん
ですよね。それぞれの研究者の方々が、先代の研究者の方々の論文や著書を読ん
で、「なるほど」って納得して、自分もそれに従って論文や本を書く。それを次
の世代の研究者が読んで・・・・、ということを繰り返していますので、本当は
史実と違うことでも、それが正しい歴史になってしまうことは良くあることだと
思います。過去の研究の歴史のしがらみや、学会の派閥のしがらみ、つまり、
「わたしも鶴富姫は安徳天皇だと思う!」と発表したいけど、それをしてしまう
とこれまでの学説を支持する偉い先生方からそうすかんを食らって、その世界に
いられなくなってしまうのが怖くて、これまでの説に迎合せざるを得ない、そん
な世界の外側にいる私たちが、純真無垢な(?)目で物を見るのは大切なことだ
と思いますよ。

 歴史に関しては、長年の学説をひっくり返すような大発見というのは、著名な
先生方よりもむしろ、地元の子供達や漁師さん、農民の方々によってなされるこ
との方が多いと思います。

 あと、この辺をいろいろ調べてみると、安徳天皇はやまたのおろちの仮の姿だ
という説も見つけました・・・・・。でも、なんぼなんでもこれは行き過ぎかな、
という気がしないでもないですが、頭の隅には置いておきましょう。

 そうそう、剣はキーかもしれないですね。


なかにし@彦島 さんからのコメント
( Date: 1997年 9月 13日 土曜日 8:56:04 PM)

 椎葉のページを作りましたよん (^_^)。見てネ

椎葉


いさぱっぱ さんからのコメント
( Date: 1997年 9月 14日 日曜日 0:17:10 AM)

しっかし ほんと 文才と言うか 構成がうまいと言うか
おじょーずですよね (^^;)

みなさん 是非ご一読下さいね
私も特別参加してます なんとバナーに埋め込まれて・・(^^;)

現地 椎葉からも平家落人サイトが出来るといいですね
そこに実際住んでる方が発する情報 まだ表には出て
こないような伝説話 
次は是非 泊まりがけでいきたいです
そんときゃ たによさんも れーちゃんも ね ^_^


なかにし@彦島 さんからのコメント
( Date: 1997年 9月 14日 日曜日 8:08:20 AM)

 そうそう、椎葉村は泊まらないといけないところですよね。パンフレットにも
書いてありましたが、日帰りで駆け足では椎葉を理解したとは言えないですね。
では、たによとれ〜のもりはいさぱーさんに任せて、わたしゃ☆☆りんごさんと(これこれ ^^;)


りんご さんからのコメント
( Date: 1997年 9月 16日 火曜日 4:35:03 PM)

大変 遅くなりましたが
ゲロをはかれそうになったりんごです

あの時 いさぱーさんは前の座席でおびちゃんとりんごさんが
仲良くしていたのできっと寂しくてゲロをはいて気をひきたかった
んだと思います うんうん^^;

今からゆっくり読ませていただきます


さんからのコメント
( Date: 1997年 9月 20日 土曜日 3:37:35 PM)

はじめまして。
彦島と椎葉を楽しみました。
関係無いかもしれませんが,PCVANおびおさんも,
彦島についてHPを作っています。高千穂と彦島でした。
彼には,椎葉の鶴富伝説や高千穂の事を若干,情報した
ことが有ります。2〜4ケ月前かなぁ。
九州・中国地方の山里には,未だ未だこの手の里が沢山
有ります。山女魚FLY水中写真を20年しているので,現地
の方々と知り合いとなっています。
提案ですが,文化人類学的アプロ−チを試みると更に良いでしょう。またこの手の里は,苗字を調べると(電話帳)面白いですよ。数少なく歴史に関係した者が多い。

椎葉で気を付ける事は,廃藩置県前後で,五ケ瀬と椎葉と元米良で戦いがあり,昔の直系では無くなっている事です。
土地の老人に聞くと良いでしょう。
 周囲の村の歴史を調べて関連さすと,もっとウ−ム良く此処まで調べて!となる物が作れますよ。


ならざき さんからのコメント
( Date: 1997年 9月 21日 日曜日 11:29:40 PM)

久し振りの書き込みですが、中西さんはいろいろ出かけてるんですね!
最近は、忙しくて彦島の資料集めも全然すすんでなく
投稿できる状況じゃないので、もっと情報の提供をお願いします。
”椎葉”にも言って見たくなったけど、どうやって行けばいいのでしょうか?

ところで、象さん、なかにし@彦島さんはいろんな所に出没してますが
”おびお”って名前も使っていたようですが?
いくつ別名をお持ちなんでしょうね、ねぇ、中西さん?


おびお さんからのコメント
( Date: 1997年 9月 21日 日曜日 11:43:31 PM)

 ならざきさん、こんにちは
 私は出たがり小僧ですので(笑)。

 椎葉へ行くには車で行くには・・・・高速のICとか、どこが便利?>いさぱーさん

 公共交通機関なら、JR日豊線で日向市まで行って、駅近くのバスセンターから上椎葉
行きのバスに乗ってください。2時間半くらいです。自家用車で行っても、バスで行って
も場所が場所ですのでそれほど所要時間はかからないでしょうね。


おびお さんからのコメント
( Date: 1997年 9月 22日 月曜日 11:21:09 AM)

象さん、こんにちは

 文化人類学的アプローチは非常におもしろそうですし、重要なことだと思います。
が、せっかくのご提案ですが、私にはそこまで注力する余力がないので、このあたり
のことは専門の先生方にお任せして、私は成書や論文を読んで「フムフム、ナルホド」
という程度にとどめたいと思います。

 あまり平家落人伝説に注力しても、「彦島を探る」webサイトの本質から底なし
沼の方へはずれていきますし、そもそも、1日わずか数十分のインターネットに費や
す時間ではどうにもならないほど深いテーマだと思います。

 私は各地の平家落人伝説よりも、たとえば知盛が彦島で過ごしたわずかの間、何を
考え、何を行っていたのか、とか、逆に、彦島の未来がどうなっていくのか、とか、
そんなことの方に関心があります。

 椎葉はとてもいいところでしたし、非常に気に入りましたので、これからも訪れる
ことはあると思いますが、webの題材としてはこれくらいにとどめておくつもりで
す。これ以上の専門的なことはやはり椎葉に住んで、椎葉の文化や社会と共に生活し
ている人のやるべき仕事だと思いますし。単なる一旅行者の私が深く掘り下げようと
してもそれは結局、わずか数日の滞在の間に見聞きしたり、別の誰かが見聞きして、
その人の主観を交えた書籍を読んで、うわっつらや本の中の椎葉に納得するだけのこ
とで、それで椎葉を論じるのは椎葉に対して失礼だとも思います。

 彦島に住んでる私は「彦島」のことをやる、壇ノ浦に住んでる誰かが「壇ノ浦」を
やる、高松に住んでる誰かが「屋島」をやる、そして、椎葉の人が自分の住む椎葉に
ついて論じる、で、それをつなぐと、うわっつらでない、本当の物語の展開が見えて
くる・・・そういうのがあるべき姿のような気がしますし、ハイパーリンクという概
念があるインターネットの世界では容易に可能なことであると思います。


なかにし@彦島 さんからのコメント
( Date: 1997年 10月 20日 月曜日 11:41:32 AM)


 え〜、数日前でしたか。ある女性が旦那を殺して、自分は不倫相手(?)と椎葉村で車の中に排気ガスを引き込んで心中する(?)という事件がありましたね。

 したいが見つかったとき、死後1カ月とちょっと経過していてミイラ状態になっていたということでしたが、発見から1カ月ちょっと前というと、ちょうど私たちが椎葉村に行った頃です(いさぱーさんに指摘されて気がつきました)。

 私たちが出かけたのが水曜日でしたから、心中したのはきっとその前後どちらかの日曜日(私の推理)・・・・

 いさぱーさんによると心中場所は椎葉ダムから車で10分ほどさらに奥地に入ったところとのことですので、ということは、私たちは死体をバックに記念写真を撮ったり、「きゃぁ、高いねぇ」とはしゃいだりしていたわけです(苦笑)。

 おそらくは、椎葉の特集ページのタイトル画に写っている山のどこかに・・・・(ぞぞぞぉ・・・・^^;)

椎葉