会議室:「彦島と日向の伝言板」

弟子待から江ノ浦の検疫所裏に抜ける道

発言者:なかにし@彦島

(Date: 1997年 8月 10日 日曜日 5:18:36 AM)



 一昨日、もう20年ぶりくらいに弟子待から江ノ浦に抜ける道を通ってみました。

 弟子待の海岸にある日本グリースの脇から山に入り、江ノ浦の検疫所の裏に出るルートですが、
なんか、昔はもう少し家があったような気がするんですが、私が記憶していた以上にジャングル
になってました。最近は路線バスや自家用車などの交通機関が発達して、この道を通る人もほと
んどいないんでしょうね。踏み分け道も消えてしまいそうな状態でした。

 私が小さい頃はもっと気軽に通れるような道だったような気がしますが、今は不気味であまる
通る気がしません。けど、この道は数少ない巌流島がよく見える場所のひとつです。巌流島もず
いぶん久しぶりにしげしげと眺めました。


みか さんからのコメント
( Date: 1998年 2月 12日 木曜日 5:43:31 AM)

私は昔江の浦に住んで居たのでそこしってます
あさりが取れるんですよ
誰も行かないからとても大きいんです
元主人から連れてってもらいましたいちどだけ


なかにし@彦島 さんからのコメント
( Date: 1998年 2月 12日 木曜日 8:29:00 AM)


 あぁ〜検疫所のところですねぇ。そうそう、そういう話、すっかり忘れてました。私は掘りに行ったことはないですが、昔はあのあたりで貝をとることを生業にしていた漁師さんもおられたということを聞いたことがあります。大きなアサリですかぁ、よいですねぇ。今でもとれるんですかねぇ・・・。


SAG さんからのコメント
( Date: 1998年 2月 14日 土曜日 10:50:48 PM)

江浦ではないですが、私もアサリ狩りには巌流島での思い出があります。
子供のころなので、もう30年も前ですが、堀越から船を出してもらって巌流島まで渡って砂利の海岸でアサリ狩りをしたことがあります。子供でもバケツ1杯ほど取れました。
そのころ 島には小屋があっておばあちゃんが一人ですんでました。井戸の水をもらったり、わらで作った馬の置物?(おもちゃ?)をもらって喜んでいたのを懐かしく思い出します。
今は、島の形が変わるほどコンクリートが入ってしまいちょいと残念です。松林もなくなってしまったのかな。

で、傑作なのが、迎えの船が来なくて(忘れられていたらしい)、電話もないし、日も暮れてきてトホホ状態になりまして、家族・親戚一同で声を合わせて”助けてくれー”って対岸の海岸(たぶん造船所あたり)に叫んだら、
聞こえるもんですねー、そこの人が連絡してくれて、海上自衛隊?水上警察?がやってきました。
とにかく、あの手の色の船がやってきてくれて 大きな船で渡船の代わりをしてくれました。
命の危険もないのに大騒ぎにしてと、うちの親父は船のなかでやたら怒られてましたけど、ほかの者はそれをよそに助かったとはしゃいでいて、なんか子供心に「どうしようもないことでも一応怒られないといけないことってのもあるんだな」と思ったもんです。
つまり怒られて恐縮しているのもジャスチャーだとわかっているから、怒られている人間に無関心でいられるという。ははは。

その10年後にアサリ狩りにいったときは、コンクリートの岸壁ができていてありゃりゃと思いましたが
今はどういう風景なのか、一度 いってみたいと思います。